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elenaさんのnoteを読んで①

はじめに

 elenaさんと知り合ったのは去年の春頃だっただろうか。今は辞めてしまったX(旧Twitter)で、同じ男性クラシックピアニストのYouTubeでのライブレッスン生の仲間としてSNS上でフォローし合っていた。そして夏にそのピアニストのコンサート会場で、リアルelenaさんに初めて会った。

 女性がほとんどという、なかなか男性にはおよび腰なオフ会やX上でのスペースでも、気さくな関西弁で語りかける社交的なelenaさんは、僕にもことあるごとに声をかけてくれて、仲良くしてもらったし、公開レッスンが決まった時も受講を誘ってくれた。
 そして今年の春、そのピアニストの大阪での演奏会と公開レッスンをほぼelenaさんとパートナーの方とでマネジメントして全て満席にして大成功させた。僕も久々に大阪に出向いてコンサートを楽しみ、elenaさんと深夜までオフ会で語らい、翌日に公開レッスンも受けさせてもらった。

 しかし、その余韻を味わっているさなか、ある夜にelenaさんから深刻なLINEメッセージが届いた。その大阪公演をマネジメントした男性ピアニストから一方的に、もう絡んでくれるな、と切られたのだ。
 その経緯はelenaさんのnote「ストレスとデトックス」に詳細が綴られている。elenaさんにことの経緯を聞けば聞くほど、僕はこのピアニストを応援することやライブレッスンを受けることがバカらしくなってXのアカウントを削除した。しかしこの行為が、elenaさんをさらに傷つけてしまった。Xでのあらぬ詮索と誹謗中傷がelenaさんに向かってしまったらしい。本当に申し訳ないことをしたと思う。なぜ矛先がその理不尽なピアニストでなく、elenaさんに向くのかも未だに納得がいかない。

 ほどなくして、elenaさんからnoteを書き始めた旨の知らせが来た。激しく落ち込んでいた彼女が、自分語りを綴り始めたという。以前から断片的にお母さんとの複雑な関係性を聞いたことがあったが、エピソードを読み進めていくうちに、壮絶な少女時代を過ごしていたことがわかった。

 僕にとって、elenaさんのnoteは肉体的苦痛と精神的苦痛との両方について、非常に考えさせられる内容だった。そして親子や家族との確執に苦しみながらも、一人の少女が育っていく成長記であり、青春群像劇でもあった。
 娘を持つ親としても非常に学ぶところがあったし、noteに綴られる経験をして今に至るelenaさんを思うと、自他ともに人を傷つける行為について、また逆に人に寄り添う気持ちについて、様々な思いが交錯するのである。


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