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elenaさんのnoteを読んで②

DVについて

  スザンヌ・ヴェガの「ルカ」という曲は、そのポップなサウンドとは裏腹に実に心に刺さる歌詞で有名だ。明らかに虐待を受けている少年が、気まずく「関わらないで。大丈夫、やり過ごすから」と平気を装いながらも「何でこんな目に合うのかわからないんだ」と心の叫びを吐露する。
 実に簡単な英語で繰り返し語られる歌詞を聞いていると、そのうちこう思うようになる。そうか、これを誰かに訴えたり、その場で助けてもらったりしても、結局自分が追い詰められるのかと。地獄じゃないか。

 このルカという少年の場合は、他者の立場から匂わせる程度の歌詞でぼかしているが、elenaさんのnoteはリアルで凄惨である。
 そして心が張り裂けそうになりながらもnoteのDV描写を読んでいくと、あることに気がつく。その魔の時間はスイッチが入ったかのように、加害者側の感情がフッと消えるのである。何かトランス状態になったように別人格となって暴力マシンと化す。
 明らかに何かが脳内に分泌され、無意識の状態でストレスを解消しているのがわかる。そして被害者側もひたすら時が過ぎるのを待っている状態になってしまう。依存せざるを得ない血の繋がった肉親から受ける折檻は、特に幼い子どもにとっては意識を閉じざるを得ないのだろう。ただ、その肉体的な痛みとともに味わう精神的な痛みは、恐らくその加害者の顔の表情や目の色とともに確実に心に刻まれるに違いない。

 人間の業と言ってしまえばそれまでだが、怒りのスイッチが入りやすい人ほど臆病な人が多いように思う。感情がすぐに振り切れてしまうということは、恐怖へのセンサーも敏感だからだ。さらにストレス過多やキャパオーバーの状態になると一触即発の状態になってしまう。そしてその恐怖に突き動かされた衝動は、最も守らなければいけない対象に向けられてしまう。人の親ともなれば、常にこういうストレスに曝されているとも言えよう。人によってはその攻撃対象が子どもに行ってしまう。

 elenaさんのnoteを読んでいると、DVも自傷行為のひとつなのだと気付かされた。何の問題のないきれいな自分の体を自ら傷つけることと、自分の分身であり幼く無抵抗な家族を傷つけること。
 問題は、自傷なら自分に傷が残るだけだが、家族を傷つけた場合は、苦しむ人間が複数になり、さらに世代間で苦しみ続けることになってしまうことだ。

 この負の連鎖を断ち切りたい思いで、elenaさんはnote「暴力の被害者であるあなたへ」「暴力をふるってしまった事のあるあなたへ」で訴えかける。

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