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パラリンピックを観た息子の何気ない一言に考えさせられた話。
普段、テレビをつけない我が家でもオリンピック・パラリンピックの中継は観た。
開会式を観た息子(5)は、世界の国旗にどっぷりハマってしまい、僕の知らない国旗のウンチクをドヤ顔で語ってくる。
国旗を観て国名を当てるゲームをして、僕が間違えると、
「国旗を間違えたら、その国の人に迷惑がかかるからちゃんと覚えなあかん」
と叱られる。
どの立場の人なの…笑
正直、コロナ禍での開催への疑問、ハンドボールの試合が観られなかった無念さ、日常生活の制限とのギャップへの憤りなど複雑な想いはある。
しかし、アスリートの活躍や笑顔に感動したし、今まで観たことがなかった競技を知り、新しく知ったスポーツのメンタリティに感動したのもまた事実である。
スケートボードやスポーツクライミングは、今までの“勝負”の認識を変える素敵な出逢いだった。車いすラグビーの面白さや激しさに興奮した。
手に汗握る、涙が込み上げる。心地よく自分の感情が揺り動かされた。
前置きが長くなったが、パラリンピックを息子と観ていてハッとしたことがあった。
「パラリンピック出たいなあ…」
僕はなんと応えたらいいのか迷った。
オリンピックの時にはそのような感想を口にしなかった彼が、パラリンピックの時にそのように感じたのだ。
ゴールボールを観て、彼はすぐに真似してボールを転がしていた。幼児でも体験できるのは、パラ競技の良さかもしれない。
パラリンピックの定義を説明し、君は出られないということを説明することが躊躇われた。
出られないことを強調すると、障害者との差異を強調することにならないか。障害を苦難とは認識しておらず、ニュートラルな視点でアスリートの活躍を讃えているだけなのかもしれないのに。
「そうやな、めっちゃカッコいいもんな」
とサラッと応えたら良かったのかもしれない。しかし、息子に中途障害を望むようなことを親としては想像するのも嫌だった。
教育的意義があるから子どもにパラリンピックを観せるとした教育委員会に対し、パラスポーツ選手は見せ物や教材じゃないと反発した意見があったのも頭によぎった。
実況解説で障害の紹介ばかりでなくプレーをもっと取り上げてほしいという趣旨のTwitterでのコメントも思い出した。
結論は、出せなかった。
その時の僕は、沈黙しか出来なかった。
なんと応えるのが正解だったのだろう。
きっと、僕にはまだまだ想像できていなかったり、足りない視点があったりするのだろうと思う。当事者の声を聞けてもいない。
“障害があるかないか”ではなく“多様性を認める”という感覚は、僕にはまだ学んだ知識でしか理解できていないのだなと。
だが、次世代には確かに、ごく自然に“多様性”という感覚を浸透させられるような気がして、より良い伝え方を求めようと思った。
考える材料として、中高生におすすめの1冊。いつか授業で扱います。
いとうみく『朔と新』(講談社2020)
安井直人
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