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古墳が神社になったという説

 コロナ禍で身に着けたのは「散歩」というスキルだ。

 この1年半ほどの土日は人込みを避けて、東京中の縄文遺跡を毎週のように見て回った。非常事態宣言が出ていないときは千葉や神奈川にも行ったりした。割としっかりと「密を避けろ」という政府や東京都の「お願い」には従ってきたほうだ。自粛派。だが、別に論争したいわけでもなし、ただ自分の安全を守っていただけだ。

 この1年半で何個の縄文遺跡を見てきただろう。見てきたといってもたいていは住宅街になっていて、「ふむふむ、ここら辺に大規模集落があったのか」などと想像するという妄想ゲーム。万人にオススメする趣味ではない。ただ、私にはめちゃくちゃ楽しい時間だった。

 で、古墳のほうにはあまりハマっていないのだが、数年前に仕事も関係して東海地方で集中的に古墳巡りをする日々、というのがあった。そこで思ったのは、「古墳だったところに神社があるケースが多い」ということ。

 そこで、東京に戻ってきて、そこで思いついた話を友人の神主にした。

「古墳のあとが神社になっていることが多い、ということは古墳が神社に進化したんじゃないのかね? 古代の純朴な祖先崇拝が、そのまま祖先霊をまつる神道になっていったんじゃないかな」

 すると友人は言った。

「そういう説もあります。古墳で発掘される遺物が、今の神道で使う道具と一致しているケースもあるらしいですよ」

 らしいですよ、というのは別に彼は神主をやっているだけで、別に古代史に詳しいわけでもないからだ。

 なるほど、ありがとう、なんて言ってその日の飲み会は別の話題になっていったが、後日、博物館で古墳の出土物を見ていて、なるほどな、となった。また、古代史の本を読んでいたら、「継体天皇が古墳を作ることを中止する命令を発した。すぐに全国的に古墳が作られなくなったわけではないが、仏教建築の影響を受けて神社が作られるようになった」という記述を見かけて「やっばりね!!」なんて思っていた。その本が今、どこにあるかわからないので正確な記述ではないし、記憶で書いているので間違っている可能性もある。

 ということで、「古墳が神社に進化した説」は私の中で確固たるものとなっていた。

 だが、この1年半でさまざまな台地、高台に登ってきてその説にちょっと疑いを持ち始めた。いや、半分は合っているのだと思うが、「そもそもその土地で一番大事なものを、一番いい場所に建てただけじゃない?」と思うに至ったのだ。

 同好の趣味者には言わずもがなだが、縄文遺跡はたいてい、台地の上の高台にある。東京の場合は。もちろん、低地にもあるが、だいたい高台だ。これは、高台だと保存されやすいのか、やはり居住空間として高台が便利性が高かったのかは私にはわからない。

 さらに言うと、そちらの趣味はまだ私にはないが、城も寺ももちろん古墳も神社も高台の一番、見晴らしのいいところに建っていることが多い。それに、現代でも高台には豪華な富裕層の家が建っている。

 こういう例を多々見ていくと、「その土地の有力者(古墳の場合は王だったり豪族だったり)が、一番見晴らしのいい場所を占拠するだろうね、そりゃ」という感覚になってきた。「古墳が神社になった説」も完全否定はしないが、同様に同じ高台から縄文、弥生、古墳から近世までの遺跡が発見されることが多い。そこが一番、住みやすかったのだろう。

 こんなことに気づけた、散歩の日々だったが、最近は暑すぎて遺跡巡りもしていない。あと、行くべきところに行きつくした、という感もある。さて、ワクチンを打ち終えて気候もよくなった秋ごろに、私は何にハマっているだろう。楽しみだ。

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