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#6 荻窪店の開業、夫婦二人三脚で|東京繁田園物語デジタルアーカイブ

本記事は、東京繁田園茶舗の創業者・繁田弘蔵が執筆した『東京繁田園物語』(1995年)の内容を再編集したものです。

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商売繁盛

最初の内は人も雇えませんから、商売のほうは妻と二人で力を合わせて頑張りました。妻は店をきりもりし、私は外回りを専門としました。借金のカタにとった愛車ラビットを駆って東京中の得意先を回り、精力的に働きました。当時の阿佐ヶ谷の店は、今と違って小売りに適した場所ではなかったため、大きなお茶屋さんを相手に卸しを専門としていたのです。

妻と阿佐ヶ谷の店の前で

店をオープンした昭和22年といえば、お茶が国の統制下にあった時代です。そのため、商品さえ手に入れば端から売れ、商売人にとっては利幅の大きい時代でもありました。トラックを使って右から左に動かすだけでもうかるというと聞こえはよくありませんが、実際そういう状態だったのです。 

というのも、統制下にある物品は県外持ち出しが禁止されていたからです。県内で取引する分には問題はなくても、県外に持ち出すのは許されません。たとえば埼玉県でできたお茶を東京に持ち込もうとすると取り締まりの対象となります。しかしそれでも中にはつかまる危険をおかしてまで東京に持ち込み、買ってほしいという生産者があとを絶ちません。同じ県内では同業者が多く、安い値段でしか売れないからです。そこでそういうお茶をこちらが買います。早い話が闇商売です。 

一年で地所を買い取る

また、石神井に繁田園の工場があったことも有利でした。葉で流通する分には県外からであろうと何ら問題がなかったからです。県外から入ってきた葉を石神井の工場で製茶にします。それを売るわけです。

時代に乗り遅れず、戦後一早く流通経路を確保したことが私に幸いしたのだと思います。店を出してから一年足らずで、それまで借りていた地所をそっくり買いとることができました。値段は三十三坪の土地に対して、当時の金で一万円。たった一年の間に私はこの地所を自分のものにしたのです。 

ところでお茶の統制はそれからすぐ解除になりました。統制品の中ではもっとも早い解除です。ちなみに統制は嗜好品から順にはずされていきました。砂糖や米などの必需品はそのあとです。お茶は嗜好品でしたから、真っ先にその対象になったというわけです。 

だますよりだまされろ

昭和22(1947)年に店を持ち、株式会社にするまでの数年間、私と妻とはとにかく夢中で働いたといっていいでしょう。そのような中で、2年後の昭和24(1949)年には早くも第二店舗を出すまでになりました。

開業期の東京繁田園茶舗荻窪店

場所は荻窪です。ここは阿佐ヶ谷とは近く、駅からいっても隣り同士です。当時はまだ市電が通っていて、その踏切りのある角地にお茶屋さんがあり、そこのご主人が亡くなったために店の権利が売りに出されたのです。駅前の一等地の場所でした。ここなら小売りをやっても繁盛すると直感しました。

しかし、それを欲しがったのは私だけではありません。他に二人が値をつけていました。急いで売りたい相手の足元を見たのか、その内の一人がつけた値は七万円という安いものでした。それを十七万円の値で買いとることにしたのです。 

「どうしてそんな人のいいことを。もう少し安く買えたのではありませんか」 

そんな声もありました。確かに十七万円も出さなくても、八万円や九万円で買えたかもしれません。なのにその倍以上も出したのですから、人がいいと言われても仕方ありません。しかし、私としては人の弱みにつけこんで、人を困らしてまで安く手に入れるのはいやでした。値切ろうと思えばできたかもしれません。しかし、それでは相手が気の毒です。 

ご主人は亡くなり、奥さんも病気をして困っていらっしゃる。それを思うと相手のいい値で買ってあげようという気持ちになるのです。こちらにその財力がなければ話は違いますが、幸い金があります。だったら相手に感謝される買い方をしたい、それが私の気持ちでした。 

現在の荻窪店

妻の助言

また、妻の助言も大きく影響しています。 その後もこのような場面がたびたび訪れるたびに妻は、

「お父さん、そんなことをしてまでやらないほうがいいわよ」 

と私を諭します。妻は私以上に相手が困るのを嫌がったのです。 

「お父さん、このへんでいいじゃないの。人を困らしてまでしなくても」 

それが妻の口癖でした。 

妻は商売の上でも私の良きパートナーです。私一人の力で商売をやっているわけではありません。妻がいいと言ってくれないとすべてのことが運びません。私は妻の意見を尊重していました。確かにあの頃、相手のことなどかまわずもっと思いきりやっていれば、もっともっと大きくなったかもしれません。しかし、私としてはだますよりだまされろで、相手をだますよりは相手に感謝される商売、あるいは生き方とも言っていいのですが、それを自分の指針にしていたのです。 

もちろんこの考えが裏目に出ることもありました。 人を信用しすぎてだまされることもあったのです。たとえば、そのあと出した店では、店長に経理を任せっきりにしていたために、その内使いこみをされてしまいました。私の甘さから生じたことでした。 

★東京繁田園茶舗は、2024年7月にパリで開催されるJAPAN EXPO PARISに出展します。

JAPAN EXPO PARIS 2024
会期:2024年7月11日(木)~7月14日(日)
会場:Parc des Expositions de Paris-Nord-Villepinte
日本語版公式サイト:https://www.japan-expo-france.jp/

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