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昔、職務質問されたときの話(元SEが《漆器の作り手》になる(3.5))

私は、昔、警察官に職務質問されたことがあります。
たしか高校三年の秋頃だったと思います。


大学受験を控えて

それは、私が大学進学に向けて受験勉強をしていた時期。
国公立大学専願で、落ちたら就職、浪人は許されないという状況のもと、
家族が寝静まっても、勉強机に向かっていました。
ちなみに私は福島県在住。理工系学部のある国立大学を目指していました。
福島県の唯一の国立大学「福島大学」には、当時、経済学部と教育学部しかなかったので、高校卒業後は県外に出ることは必至でした。
卒業したら親元を離れるんだなぁ…と漠然と考えていた、と思います。

進路を考えてる頃の記事

深夜のラジオ

勉強と言っても、実はそんなに真面目には取り組んでいませんでした。
深夜勉強とは名ばかりで、深夜のラジオ放送を聴きながら…、
いやむしろ、ラジオを聴いてるのがメインなくらい(苦笑)。
私がその時聴いていた番組は、TBSラジオが多かったですかね。
「コサキン」の放送をよく聴いていました。
(私はコサキンリスナーです)

ん?
福島県在住なのに関東のラジオ放送が聴けるの?
と思った昭和の方はいますか?

今はもうネットで全国の放送が聴ける時代ですが、昭和の頃はそんなものはないのでアンテナ付きのラジオを放送局の方向に向けてエアチェックしてました。
当時、福島県内で聴けるAM放送ってラジオ福島やNHK、その他諸々くらいしかありませんでした。
でも、太陽が沈んで紫外線がなくなると、ラジオ放送の電波が遠くまで届くようになり(詳しい原理は他に譲ります、笑)、関東のラジオ局の電波を福島県でも拾えるようになるのです。

夕方くらいだとまだ雑音混じりですが、19時を過ぎたあたりから徐々にクリアに聞こえるようになってきます。

新たな発見!?

ある日の午後、
東京の放送聞こえないかなぁ…とラジオのチューニングを合わせていると予期しない周波数で鮮明な音声が聞こえてきたのです。

(どこの放送局だろう?)

東京の放送局ではなさそう。
よーく聴いてみると、それは「北海道放送(HBC)」でした。

え?北海道!?

意外でした。
「ベストテンほっかいどう」というランキング形式の音楽番組を放送してました。

令和の今はこういうランキング形式の歌番組って皆無ですが、
当時は乱立していました。

ザ・ベストテン(TBS系列)とか、
ザ・トップテン(日本テレビ系列)とか
(※あともう一つあったな…ピンチヒッターとかで代わりの人が歌ったりする番組)

レコードの売り上げや、有線放送などをベースにしているのでどの番組も似たり寄ったりのランキングになるのですが、(番組宛てのハガキリクエストによる差異くらいでランキングは微妙に変わったりします)

この「ベストテンほっかいどう」はローカル色が強く、
北海道出身のロックバンド「安全地帯」の順位が高かったり、
地元ではないようですが「大江千里」の「十人十色」がランクインしていたりと、テレビ番組のそれと比べてちょっと異彩を放っていました。
※安全地帯は「ワインレッドの心」「恋の予感」などのヒット曲はベストテン入りしたものの、その間にリリースした「真夜中すぎの恋」や「マスカレード」はそこまでヒットせず(?)…だったのですが、「ベストテンほっかいどう」では堂々のランクインをしていて地元愛が感じられました。

この番組の目玉コーナーは、ランキング当てクイズ。
電話による受付で、採用されて当たれば好きなレコードを貰えるというものでした。

何を思ったのか、私はこのコーナーに参戦しようと思ったのです(笑)。

無謀な挑戦

北海道のリスナーが大半であろうこの番組に他の都道府県からリクエストがあるなんて、番組スタッフはさぞビックリすることでしょう。

なんて妄想しながら電話をかけます。

ラジオパーソナリティの人が受付スタート!と言ってからが勝負。
急いでダイヤル(笑)を回すもいつも話し中。
いつも誰かに先手を取られてしまいます。

そう、家の電話はダイヤル式の黒電話。
これでは勝てない。そう思った私はプッシュ式の公衆電話からチャレンジすることを思いつきます。

プッシュ式の電話が設置されている場所で思いついたのが会津若松駅前の公衆電話でした。
プッシュ式の公衆電話も当時まだそんなに多くはなかったと思います。
さて、50度数のテレフォンカードと携帯ラジオを持ってスタンバイOK。

電話ボックスの中にずっと籠もっているのは、本当に電話を使いたい人に失礼だと思ったので、電話を受け付けるタイミングを見計らって、ボックスに出たり入ったりを繰り返していました。

頻繁に電話ボックスをウロウロする不審人物。
お巡りさんが放っておくわけがありませんね。

そう、電話ボックスの真ん前には交番があったのてした。
ゆっくり私に近づいてくる2人の警察官。

あ…これ、ヤバいヤツ。
とはいえ、ここで走って逃げようものなら取り調べ必至。観念して正直に話すことにしたのでした。
※もちろん、すぐに釈放(?)されました。

この日を境に私は番組に電話するのをやめました。
(勉強しろよ、って話です)

それにしても、福島県から北海道までの電話代とか当時全く考えてなかったですね。
もし仮に繋がっていたらどうなっていたでしょうか?

いやぁ若気の至りでございました。





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