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映画「ちひろさん」を観て思うこと
海町で暮らす元風俗嬢の吉澤綾は「ちひろ」という名前でお弁当屋さんの売り子をして居る。
物語は「ちひろさん」と呼ばれる彼女が、孤独を抱える人達と出会い、元風俗嬢から元お弁当屋さんへと成長し、孤独と共に生きる覚悟などが描かれている。
孤独がテーマの映画や物語は、世の中に溢れるほどあり、どれも自分なりの孤独との向き合い方を学ぶというオチが多いなと感じる。
その中でも、「ちひろさん」は私の中でとても共感するものがあった。
それは、物語の最後の方で、たえさんが綾に「どこか遠くへ行こうかなって思っているんでしょ?」と電話で聞くシーンである。
「どこか遠くへ行きたい」
私自身、孤独を知った高校生時代から1年前まで何度もそう思ってきた。
どこへ行きたいのかと聞かれると、それは難しい質問で、答えに迷ってしまう。
きっと、綾も「自分がどこへ行きたいのか」なんて事は分からなかったと私は思う。
ただここでは無いどこかへ行きたい。
それは自分が立つその場所が嫌だからではなく、楽しかったり幸せだったりすると、それを知ったあとに自分が傷ついてしまうのがとても怖くなってしまうからだ。
物語では、そんな綾にたえさんが「もういいんじゃない?あなたならその孤独と上手に生きられるわよ」と言った。
この言葉で、私自身、過去の記憶と重なるものがあった。
東京の街でライブハウスを点々とし、それでも孤独から逃れられなくて死をも考えた時だった。
同じように音楽が好きだった当時23歳の彼女は、同性愛者で孤独を埋めるようにライブハウスに通っていた。
彼女は東京で一人暮らしをしていて、私は彼女をとても慕っていた。家に帰らず、彼女の家で夜を明かすこともとても多かった。今思えば、私なんて彼女からしてみれば子供で、妹のようにしか見えていなかったのだろうなと思う。
ある時彼女は、何でもない日なのに大きな花束を買ってきて、私に言った。
「私を受け入れてくれてありがとう」
当時その言葉の意味を、きちんと理解する事は出来なかったが、当時の彼女と同じ歳になった今は、その言葉の意味を心から理解出来る。
そして、彼女があの後どこかへ行ってしまったのも今はとても納得ができる。
今までの自分の生活が他人によって彩られ、他人によって色を抜かれる。そんな経験をしてきたから、孤独でなくなり、後々傷つくかもしれないという不安が消えず怖かったのだ。怖くて仕方なかったのだ。
だから、傷つく前に「楽しかったな」で終わらせたかったのだ。
「ちひろさん」を観て、再度「孤独」について考えてみると、「孤独でもいい」と思えてくる。
そう、人間は皆孤独なのだ。
孤独の中で、誰かと出会い、自分なりの愛を持って生きている。
ライブハウスで出会った彼女もきっと、どこかでまた自分なりの孤独と共に生きているのだろう。
今、私は心が開ける3人の友達と、一人の信頼出来るパートナーがいる。
それだけで満足している。
私を知らない人は、「友達少ないね」などと言うが、私はそれでいいのだと思う。
これが私の孤独との向き合い方なのだから。