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巨大なマトリマンディアで瞑想に挑戦 小説『ザ・民間療法』009 インド編

 

小説『ザ・民間療法』009

 オーロビルには広大な森の中心に、マトリマンディアと呼ばれる巨大な瞑想施設がある。ガスタンクを何倍も大きくしたような球形で、威容を誇る圧倒的な建物だ。

この施設は、オーロビル定住者であるオロビリアンしか使わせてもらえない。まだ来たばかりの私には資格がなかったが、友達になったオロビリアンが、私も自由に出入りできるように手配してくれた。

マトリマンディアに一歩足を踏み入れると、外界の暑熱から開放され、いきなり冷涼な空気に包まれる。広々とした丸い空間に窓はない。建物の中心には、直径1メートルほどもある巨大な水晶玉が据えられていた。天井の明かり取りからは、一条の光がまっすぐに水晶玉の中心を突き抜けている。この光景を目にしただけで、すでに瞑想状態にいるようだった。

今のオーロビルには指導者がいないから、それぞれが思い思いの姿勢で瞑想している。私も日本にいたころには、何度か瞑想を習いに行ったことがある。教えられた通り、ひたすらマントラを唱え続けたり、逆に無言で無念無想を追求したり、自分の存在が光の玉のなかにいるイメージをしてみたりもした。瞑想に入る方法はさまざまだったが、どれも本格的なものではなかったから、神に出会うような体験はない。私には、足が痛くてじっとしているのが苦痛なだけだった。

そういえば20代のころ、日通で運送業のアルバイトをしていたとき、奇妙な体験をした。忘れもしない。あれは東販での仕事だった。そこでは、ベルトコンベアーで運ばれてくる本の塊を、行き先別に仕分けしながら、次々にコンテナ車に積み込んでいくのである。

これは力が要るだけでなく、頭も使うし作業スピードも速い。だから必ず二人一組で行うことになっていた。朝、日通の社員からの指示で「今日は五軒町の東販へ行け」といわれれば、バイト仲間はみな尻込みするほど、ハードな作業なのである。それなのに、たまたま一人でいるときに、なぜか突然ベルトコンベアーが動き出してしまったのだ。

私に向かってどんどん荷物が送られてくる。やるしかない。そう思って取り掛かってはみたが、中腰での作業ということもあって、あっという間に私は限界点に達した。額からは汗が吹き出し、激しく息が切れ、心臓が破れるかと思ったその瞬間、いきなり私のなかに静寂が訪れた。

気絶したわけではない。それまでの体の苦しみどころか、体の感覚自体が消えてしまった。気づけば、ベルトコンベアーの荷物と格闘を続ける私を、もう一人の私が上から静かに眺めている。どうやら私は、体から抜け出してしまったようなのだ。

そうやってしばらくたつと、また何の前触れもなくベルトコンベアーが止まった。そこにある最後の荷物をコンテナに積み込み終わった瞬間、私は自分の体のなかに戻っていた。死ぬかと思うほどの重労働をこなしたあとなのに、体には何の苦しみも残っていなかった。

そんな超越体験はそれっきりだったが、もしかして瞑想が深まれば、あんなことがまた起きるかもしれない。期待もあったせいか、マトリマンディアには何度も足を運んだ。だが結局、オーロビル滞在中は、私に何の変化も訪れることはなかった。でも私は変わりたい。以前よりも、そう強く願うようになっていた。(つづく)

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