見出し画像

インド人と日本人の親切はこんなにちがう!(小説『ザ・民間療法』インド編005)

小説『ザ・民間療法』005 

 インドに到着した私は、しばらく仏跡を散策して過ごしていた。日本から同行したグループが、いよいよサイババの元へ出発する段になって、そこで彼らとは別れた。

「あなたにはサイババのところよりも、オーロビルのほうが向いている」
顔見知りになったインド人から、そうアドバイスされたからだった。

私はささいなことでは悩んだりもするが、逆に重要なことだと、後先考えずに行動に移すタイプである。この性質は、海外旅行では役に立つことが多い。それを体験的に知っていた。このときも、調べもしないでオーロビル行きを決めた。

だが同じインド国内とはいえ、オーロビルは遠いのだ。まずはカルカッタから飛行機でマドラスまで飛ぶ。今度はバスに乗り込んでポンディチェリまで行く。そこから先は、オートリキシャに揺られていけば、オーロビルに着く。

こう書いていくと、だれでもかんたんに着けると思うだろう。ところが私が教えられたオーロビルへの行き方は、「着いた先々で、地元の人に教えてもらいなさい」という至極かんたんなものだった。

「そりゃそうだよな」と思う人もいるだろう。だがこれがインドではなかなか難しい。インドなら、どこでも英語が通じると思ったら大まちがいだ。地元の言葉にしても、隣の村ですら話が通じないこともあるという。

さらに地元の人に聞くといっても、インド人は日本人とちがって「すこぶる親切」なのである。道を聞かれて、「知らない」などとは絶対に答えない。異国の人が道に迷っているのだから、何としても答えてあげようと考えるらしい。

だから、とにかく思いつくままの方向を指差してくれる。彼が、道を知っていようがいまいが関係ないのである。そうなると、あとは彼の勘を信じるか、自分の勘を信じるかだけである。

日本で暮らしていると勘など必要ないが、海外に出るとめっぽう野性の勘が鋭くなる。突然命の危険にさらされるような場面が続けば、自ずとそうなるものなのだろう。そうやって勘だけを道連れに、何とかオーロビルまでたどり着いたら、移動だけで丸々3日が過ぎていた。

オーロビルといえば、それなりの街を思い描いていたが、着いてみたらそこは広い森だった。その森の中心に、巨大な瞑想施設がある。そこを取り巻くようにして、小さなコミュニティが点在しているのだ。各コミュニティは10人程度で構成され、コミュニティごとに、自給自足の質素な生活から、プールつきの豪邸暮らしまで、それぞれが思い思いに暮らしていた。

元々このオーロビルは、インド人思想家のオーロビンド・ゴーシュとフランス人女性「マザー」らが開いたアシュラムだった。アシュラムとは、共同生活をしながら修行するところである。1960年代の終わりごろからヒッピー全盛の時代には世界中から人が集まって暮らしていたらしい。

しかし私が着いたころには、中心となる指導者はいなかった。外国人が集まって永住しているだけで、その多くはヨーロッパ各国から来た人たちだった。そこには国境も何もない。お互いを束縛する空気もない。ただ、むせ返るように濃密な花の香りに包まれて、ゆっくりと時間が過ぎていく場所だったのだ。(つづく)


いいなと思ったら応援しよう!