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自愛ある暮らしと生き方へ

早いものであっという間に

生後2ヶ月になりました👶
 
 
『2ヶ月ってこんなに長かったっけ?』

というくらい

濃厚な日々を過ごしています😊
 
 
最初の1ヶ月は

はじめて尽くしな子育てや

彩の体調の回復などで

なんやかんやあっという間に

過ぎ去っていった印象でしたが
 
 
この2ヶ月目は

子育てにも少し慣れてきて

彩もだいぶカラダが回復して

一緒にお出かけしたり

家事分担、子どもとの時間も分担して

一緒に育てるようになって
 
 
なんて言ったらいいんだろう

これまでにないくらい

充実した日々を過ごしてるなって思います☘️
 
 
みーくんも少しづつ大きくなってきて

毎日、朝と夜はみーくんと

スキンシップとコミュニケーションを

取るようにしてるんですが

日に日に

目を見て笑っておしゃべりしてくれる

ようになってきたり

泣いたら涙が少しづつ出るように

なってきたり...
 
 
最初は

笑ったり涙したりすることもないところから

こうやって沢山関わっていくなかで

少しづつ

人間的な感情や気持ちや表情などが

育まれていっていることに

なんか

柔らかな感動を感じています🕊️✨
 
 
なにもなかったところから

カラダをまとって生まれてきて

感情やココロすらも

こうやって少しづつ少しづつ

育まれていって...
 
 
なんか

うまく言い表せないですが

『優しくて柔らかな奇跡』

を日々見ませてもらっているなと

そんな日々です😊✨
 
 
そして今だに思うことは

『なんでみーくんはここに居るんだろう?』

という不思議な感覚☘️
 
 
彩とも今だにこのことで共感するのですが

2ヶ月やってみたけど

やっぱり今だに

『みーくんはうちらの子なの?』

っていう不思議な感覚が続いています。
 
 
最初は

『生まれてすぐだからかな?』

と思っていましたが

どれだけ一緒にいても

どれだけ愛おしいって感情を育んでいっても

みーくんがうちらのもとに

生まれてきてくれてることに

今目の前で一緒に過ごせていることに

いつもいつも

『不思議』な感覚があります😊
 
 
『なんで居てくれて居るんだろう』

『どんな体験をさせてくれるために居てくれて居るんだろう』
 
 
みーくんは

うちらにとっても

うちら以外の誰かにとっても

『なにかを体験させるために』

生まれてきてくれたんだろうなって思います😊
 
 
そして

それはきっと

とびっきりの

『愛の体験❤️』

そして

『喜びの体験✨』
  
 
変な言い方ですが

みーくんはたぶん

自分たちの子であって

自分たちの子ではないです(笑)
 
 
もちろん

DNA的にはうちらの子ですが

でもなんか

感覚的にはそのように感じるんですよね🕊️
 
 
うちらの子として

育ててしまってはダメな気がするというか

もっと大きい者として

育てていかないといけない気がするというか🧑‍🍼🤱✨
 
 

書きながら

何が言いたいのか

わかってきたのですが

これから生まれてくる子どもたちは

とてもとても

大きな役割があるように思います😊
 
 
それはきっと

この世界を

この地球を

『愛の星』

に変えていくという役割🌏✨
 
 
何かをするとかではなく

ただただ

その存在が放つ

心地よい波動や

存在としての喜びや愛おしさ

溢れ出る資質や才能や優しさが

これまでの

様々なカタチの「戦い」のなかで

蓄積してきた “癒えない傷” を

癒しながら
 
 
超えられなかった

本当の意味での『平和な世界』を築いていく

大切なお役目がある気がしてならないです☘️
 
 
 
だから

これからの子どもたちの子育ては

これまでの子育てに加えて

『プラスαの大切な要素』

を加えていく必要が

ある気がしていて
 
 
それがなんなのかを探しながら

日々のみーくんとの子育てを楽しんでいます🧑‍🍼🤱🌱
 
 
 
これはちょっと予言的な話になりますが

きっと

これからの『20年』で

社会も

仕事も

ライフスタイルも

暮らしのあり方も

教育も

学校も

子育てのあり方も

すべてが根底から

『劇的に変わりはじめて』

今生まれて来ている子どもたちが

大人になったになったときに

その変化を決定づける

『最後のトドメ』

をさしてくれるんじゃないかなと

思っています。
 
 
 
『ただ居るだけで幸せ』

『存在そのものが幸せ』
 
 
ただ居てくれるだけで

その存在が生まれ持ってきた

この星を豊かにするための

波動や資質を使って

他者や社会の

幸福や喜びのために生きる☘️
 

神の

優しさと愛の波動と

いのちの尊厳の波動を

放って生きる赤ちゃんが

さらに磨きがかかり

成長すればするほど

その瞳の輝きを増していくような

そんな世界✨
 
 
 

今の保育も教育も

社会に出てからの仕事も暮らしも常識も

その根底には

約200年前から始まった

資本主義のなかで “採用” されてきた

人間観や人生観、教育観があって
 
 
歴史をたどれば

資本家がいて会社があって

会社に勤める従業員がいて

その従業員がしっかり働いて

会社に利益が出て

資本家が儲かり

そのお恵みを従業員もいただいて

そのお金で家族を養い子どもを育て

会社に勤めて立派に稼げるため

必要な知識や技能

集団行動や社会常識を育むために

小中高大の学校に通わせ

企業が中心、会社が中心、働くのが中心

の社会のなかで

夫婦共働きが普通になって

家で子どもを育てる人がいなくなって

保育園が必要になって

家というのは

仕事や学校から帰ってきた家族が

食べて寝てお風呂に入って生活する

ためだけの場所に変わっていって

早く保育園や幼稚園からの集団行動に

慣れさせるために

自立という名目で

本当はゆっくり充分な愛着関係を育む

大切な幼少期に

早く起きなさいと急かされ

躾という名目で

こどものペースや気持ちではない

大人や社会のペースで

こどもも育てることがはじまって

共働きで疲れ切った中で

家事育児に余裕がなくて

ツイツイ子どもに辛くあたってしまったり

夫婦での些細なケンカが増えてしまったり

それを見た子どもは辛く寂しい思いをしたり

学校に行っても

成果主義の資本主義のなかでは

勉強でもスポーツでも

がんばって成果を出せる人間が優秀と

評価されて順気づけがされて

相対比較のなかで

子どもは劣等感や自己無価値感を

育まれてしまったり

親も周囲の親の目を気にして

自分の子は大丈夫なのかと不安になって

やれ勉強しなさい

やれちゃんとしなさいと

こどもの気持ちを聞く視点も失い

気づけば親子関係がギクシャクしたり

こどもは大人や社会を徐々に

信頼できなくなったり

生まれてきた意味や希望を見失い

大人になる頃には

順中な社会の一員として

それなりに良い人生を目指して

生きるようになって

でも無意識でガマンしてきた

やりきれない気持ちがいっぱいあるので

好き勝手生きる人をみて嫉妬したり

こどもにも自分と同じような境遇を

ツイツイ押し付けてしまいそうになったり

そんな自分に自己否定したり

落ち込んだり、他者否定したり

気づいたら鬱になったり

気持ちをごまかして生きるようになったり

まわりの目には悪く映らないように

体裁だけ取り繕って

がんばって生きてみたり

でもそれも耐えきれなくなると

また鬱になったり落ち込んだり......
 
 
 
書いてたら

ものすごく長くなってしまいましたが

今、生きていて感じる多くのことが

この資本主義のなかで採用されてきた

『人間観・人生観・教育観』

という舞台の上で

実は成立している事柄ばかり。。。
 
 
 
その根底には

物質的な豊かさと

資本家がさらに豊かになり

そのうえでそのお恵みとして

給料をもらい

給料をもらうための成果をだすために

がんばり続ける

働き続ける

という

資本主義のなかで採用された

成果主義的な

人間観や人生観

そういう人材を育めための教育観
 
 
これらを極端な表現で

シンプルに言い表せば
 
 
『ロボットのように生きなさい』

『ロボットのようになりなさい』
 
 
ここまでハッキリとは

言われないですが

本質を突き詰めてみれば

今の資本主義のなかで採用されている

人間観・人生観・教育観には

『人間=ロボット』

のような認識や扱いが

含まれてしまっているからこそ
 
 
他者よりも

効率よく

効果的に

成果が出せる

性能がよく

お利口さんで

言われた指示にはしっかり従い

時間は定時でしっかり守り

適度な休憩と余暇を与えてあげながら

故障(病気)にならないように

自己管理をちゃんとしながら

働き続ける...
 
 
そんな人間が

『見本』とされてしまうような

今の社会の風潮や雰囲気が出来上がってしまい

そんな環境のなかでは
 
 
『がんばらないと幸せになれない』

『成果を出せないと意味がない価値がない』

『他者より優れていないと評価されない』

『自律的な人間、集団行動がとれる人間でないといけない(ゆったりのんびりマイペースは社会では許されない)』

...etc
 
 
言い方を変えれば

『ありのままでは許されない』

『ありのままでは評価されない』

『自分の気持ちや心に従うのは自分勝手で☓』

『幸せになるためにはがんばりなさい』

...etc
 
 
こういった

人間観や人生観やライフスタイルのイメージ

幸せや成功へのイメージが

ビッシリ無意識深くにこびりついていて

すべての問題の根源にこの

今ここの豊かさを味わってはダメだという
 
 
『自己否定観』

『自己無価値観』

『自己不足感』

『罪悪感』

 
という存在としての悲しみや傷があって

これからの20年で

この潜在的なイメージや生き方に対する

『癒しと変化』が

加速度的に起こっていくだろうなと

思っています😊☘️
 
 
 
今、不登校の子や

学校に馴染めない子がたくさん出てきて

いろんな病名や症状が付けられているけど
 
 
それはあくまでも

これまでの資本主義のなかで採用されてきた

人間観・人生観・教育観の価値基準でみたら

の話しで
 
 
本当は

不登校になるくらい

学校に馴染めないくらい

『オリジナルの価値や資質』

を生まれ持っていて

それくらい素直に

『自分の生まれ持った資質や才能』

を活かして生きようとしているだけ

って視点もある☘️✨
 
 
今はまだまだ

このような

『マイナスをよりプラスの側面で見よう』

くらいのレベルだけど
 
 
これが10年20年経ってくると

いつか必ず

『価値基準の反転』

が起こり

それまで常識だったことが非常識になり
 
 
今だと例えば

良い大学に行かせるために

『塾』に行かせるのが当たり前ですが

これも例えば

明治維新が起こって

学校制度がスタートしたあとで

わざわざ寺子屋に通わせよう

とする親が減っていったのと同じで

もしかすると

20年後には

『大学行くために塾に行くなんて時代遅れー』

となる日もきっと来るだろうなと思います。

もうほんとに

常識と非常識が

ひっくり返りはじめる時期に差し掛かり

これまで常識だった『子育て観』

大きく変わってくるんじゃないかなと

思っています😊
 
 
そんななかで

古き良きものは活かしつつも

ただ古いだけのものは手放して
 
 
これまでの

『何かできれば価値がある』
(なにもできないと価値はない

『何かを努力すれば成功できる』
(なにもしていなければ幸せにはなれない)

という価値基準を手放して
 
 

『今この瞬間が既に幸せ』

『存在そのものが既に世界に貢献している』

という新しい人間観や人生観のもとだと

一体どういう子育てになるんだろう?
 
 
どんなふうな

こどもとの関わりだったり

親子関係や家族関係になっていくんだろう?
 
 
その先にある

周囲との関わりや協調性は

どんなものになっていくのだろう?
 
 
そういった一つひとつの体験を

みーくんは僕らに

させに来てくれているんだなあと

そう思うんです😊☘️

 
だからこそ

今のこの瞬間の

みーくんとの関わりを大事にしていきたい♫

たくさんのことを教えてもらえるから☘️
 
 
みーくん

いつもとびっきりの笑顔をありがとう😘
 
 
そして

今を生きるすべての子どもたちへ

ありがとう🕊️✨✨

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