誰だって子どもを育てる初心者
Twitterとかネットをダラダラ見ていると、子育てに苦労する親御さんを沢山目にする。私自身親に沢山の迷惑をかけてきたし、心配もしてもらったし、それはこれからも続くかもしれない…人ひとりを育てるのが大変だということは理解している。しかし、私はまだ誰かの親ではないから経験から実感することは少し先の話だろうと思う。子育ての経験がない人間が子育てのことについて書くには、私の何もかもが足りない。ただ、子育てをされた子ども側の発言として、この文を読んでもらいたいと思う。
私は中高と度重なる不登校だとかに悩まされてきたから、恐らく親には精神的にも体力的にもキツい思いをさせたと思っている。その時の親は、私から見ても余裕がないように写っていた。それでも余裕がないのは原因のひとつである私も同じだった。きっと余裕がないのだろう、私に向き合うエネルギーもないのだろうとどこか頭の片隅で理解していながら、どうしても親に甘えてしまう私は求めることをやめなかった。親としてこうしてほしい。甘えさせてほしいし、時には厳しく叱ってほしい。そして優しく話を聞いてほしい。当時の私は親という肩書きに対して、世間一般の理想像を押し付けていた。
なんだかんだあり私の暗黒期は過ぎていくのだが、高校の卒業が近づいた頃だろうか。ふたり隣に座る車の中で母に打ち明けた。今まで迷惑をかけたことに対する謝罪や感謝を。とはいえ所謂くさいことを言うことに抵抗があったので、そんな改まった風でもなくを装った。その中で私は母に言った。「お母さんも私の親やるの初めてなんだからわからなかったり上手くできなくて当たり前だよね。お兄ちゃんとも違う人間なんだから。」そう言うと母は「あんた凄いね。そうだよね。私気づかなかったよそんな事。」と少し涙声になりながら感心してくれた。上から目線な言い方になってしまったが、私はそれまで母のことを親として見ていて、それは既に確立されているものだと思っていた。母は強いのだと勘違いするくらい親として私に向き合ってくれていたからこそ、ひとりの人としての弱さとか不完全さを忘れていたことに気づいた。この出来事ががなんだか少し照れ臭くて嬉しくて今でもハッキリ覚えている。
親になることを、子どもが生まれたら自然とそうなるものだと思っている人は意外と多いのではないだろうか。例えば、子を産んだ母でさえ、わからないことだらけの初めての子育てに手探りで向かっていることを忘れてはならないと思う。正解もない中で必死に母になる、母であろうとする努力をしているのだ。例えば親としての自覚がなく子育てに非協力的な人は、親になる努力を怠っているようにも見える。子育てはわからないことだらけで当たり前だし、出来ないことだらけで当たり前だ。それでもそこに責任がある以上放棄せずに向き合うべきなのではないだろうか。勿論、その家庭家庭での役割分担や家庭の事情はあるだろう。ただ、父も母も最初から完璧な親でもなければ、そこに男女の差などないように思う。
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