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エツィオーニの『新しい黄金律』を読もう!序章

次に進む大学院の先生に、「リベラル・コミュニタリアンってなんですか?」と質問したら、「エツィオーニの『新しい黄金律』という本に載ってるよ」教えてもらったので、さっそく借りてみた

「リベラル・コミュニタリアン」については、「特集1/友愛政治の理念とその可能性―コミュニティをつなぐもの」という文章ではじめて触れました。
文章のリンクが見つからなかったので(なぜ)、動画のリンクを貼ります👇
http://public-philosophy.net/archives/288

(図書館のお休み期間と被ってしまっていたので、やる気MAXMAXMAXの時に借りれなかったのが残念…笑。アマゾンで買うか〜と思ったけど高すぎた!)

図書館で本を見つけた瞬間、「うげっ」と思っちゃいました…分厚すぎる!
そしてパラパラ本を見たら、上下2段構えの文章構成!

「これ入学前に読むのかあ…」
「でもおすすめされちゃったし、入学前には読まなきゃだよなあ…」

そんなこんなで、ちゃんと読むことに決めました

とりあえず序章は読みました
そこで疑問がふつふつ…そして、序章読んで「こういう思想の人の話読むのかあ」ともなっている

序章の感想①

まず「え、まじか…」となった文章。
現代社会でほとんどの人が共有してそうな思想と反対方向の思想が書かれていた。

コミュニタリアンたちは、特に両親のいる家族(父親と母親の人格の平等性を重要視したもの)を新たな基礎の上に再興すること、学校における人格(品性)教育の推進、コミュニティへの支援、社会への献身を提唱します。

『新しい黄金律』p.ⅱ

片親の家族や「親」がいない人、「家族」という形ではない形で生活している人などがいるはずなのに…そういう人たちは周辺化されているの?とおもました。
第一章を読んでみると、同性婚のことなどは頭にあるみたい。(1996年に出版されているから先進的ではある)
じゃあなんで、わざわざ序章に「両親のいる家族」という言葉を使ったのだろうか…?
全部読み進めたら答えがわかるのかなあ…。

序章の感想②

私の主たる関心は公共哲学にあり、ジョン・ロック、ジョン・スチュアート・ミル、ジャン=ジャック・ルソー、といった哲学者たちの社会思想を発展させることにある。 

『新しい黄金律』p.13

ちょっと待て〜い!

エツィオーニって、ロックとルソーの系譜なの?
その系譜はロールズやん!
(ロールズはロック、ルソー、カントの系譜)
てことは、リベラリズムの系譜では…?
でもエツィオーニはコミュニタリアンなんですよねえ…
リベラリズム vs コミュニタリアニズム の謎が深まった…

序章の感想③

個人の権利は社会に対する責任と均衡すべきであり、自由も社会秩序と均衡すべきである。

『新しい黄金律』p.ⅰ

この国際的なモラル対話は、「西洋世界」における個人の権利および自由という観念と、コミュニティ、調和および社会的責任に関するアジア的な(またイスラム教とユダヤ教にも見出される)観念と結びつけて、世界的な範囲で共有される中心価値を発見しようとする努力です。

『新しい黄金律』pp.ⅱ〜ⅲ

「西洋世界=個人の権利と自由の尊重/東洋世界=社会的責任(秩序)の尊重」という二項対立的に考えるタイプの方なのねエツィオーニさんは。
センの立場から言わせてもらうと(何様?)、そんな二項対立など存在しないけどねえ…

次は第1章!つづく!(たぶん)
絵はペンギンエツィオーニです💜かわちい

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