無自覚も間接的も、そんなん関係ない
絶対に忘れたくない。今すぐ記録しなきゃ。っていう想いに突き動かされて書いてます。
きっと文章ごっちゃごちゃ誤字脱字あります、でも書きます。
忘れたくないから
気仙沼の人が腹を割って話してくれた、なんでか聞いたら、「お前だからだよ」って言ってくれた。彼らは自分を肯定してくれた。だから自分も肯定したい。彼らは自分にギブをくれた。自分は彼らにテイクをしたい。
ありがとうとありがとうの話。
美容師の人が、友達に「友達なんだからタダで切ってよ~」って言うんじゃなくて。美容師の人が友達に、「友達なんだからタダで切らせてよ~」っていうもん。やりたいで動くもん。
古着を集めて、発展途上国に送る。でも発展途上国にはそうゆう服が余ってごみになってる現状がある。しかもそうゆう服は化学繊維が多いから、川が汚染されていっている。
でも、シンプルに考えたら、
自分で着たい服を着たいはず。
与えられた、支援された服から選ぶんじゃなくて、自分が着たいと思う服を、選びたいはず。
こうゆう風に自然と、支援する側される側の構造って生まれてしまっている。
例えばこれは、日本の外国人労働者にも当てはまることとで。
働いてくれている外国人の方が沢山いるおかげで、日本では24時間営業のコンビニがたっくさんある。
でもいまそれがコロナで、営業が厳しい人員削減とかなったら、真っ先に着られるのは彼ら、外国人労働者。
わたしたちが就労環境を与えているんだから
こっちだって厳しいんだから。
だってコロナなんだから、みんな大変なんだから
「仕事ができてよかった日本ではたらけてよかったありがとう」っていう想いに対して、「働いてくれてありがとう、24時間コンビニ営業できるようにしてくれてありがとう」ってなるはずなのに。
急にこっちが大変になったら「与えてやってる立場」として態度をとってくる。ギブとテイクのはずなのに。ギブばっかりもらってる。
間接的っていう便利な言葉が使われてるけど、間接的も直接的もない。加害者は加害者。無自覚で加害者になってる人々の集団でしかない。
例えば、コロナでものが売れないから、工場への発注をキャンセル。その結果工場で働く人の仕事がなくなる。もともと作ってた分も買ってくれる人がいないから余計ダメージ。もしそれがニュースとかになったら「あ、まずいな、変えなきゃ」って思う。それはおかしい。
自分のしている行動がどう影響しているかは想像できるはず。加害者であることに気付いたらならその時点で改めるべき。
間接的に加害者になってることなんていっぱいある。
先進国の人間として、そこを自覚しなきゃいけない。
ちりも積もれば山となるっていうけど、そのちりを作ってるのは自分であるという無自覚。
怒りを持つことは大事、それを表に出すことも大事。でもその怒りを誰に向ければいいか分からなくなった。
例えばファストファッション。
消費者が「安くてよいものが欲しい」という欲がある。
その欲を元に企業はものづくりをする。
それを叶えるために、発展途上国の工場で作ってもらう。
この構造の中でだれも悪意をもって服を作っているわけではない。構造の問題。
でもこの構造に気付いて、「構造だから」「こうゆう仕組みだから」「バランスだよね」で終わるのは絶対違う。
現状の問題をまずは把握すること、そこから何が自分にできるかを考える事。買い物は投票だ。
バングラディシュの貧困地帯に行った男の子の感想
なんでこんなに優しい人たちが、食べれなくって、自分たちだけが食べられるんだろうって思った。
辛い現状、悲しい構造を知って、しんどくなるから。知らないことをすることが多い。特に大人は。
自分は、罪悪感を少しでもなくしたかった。
ファッションとかの、目の前の問題に自ら足を運んで行動して、考えて、発信して、支援しているみんなのことを、見て見ぬふりをしている自分がいた。そうゆう自分に罪悪感があった。
その罪悪感を少しでも減らすために、今日こうやって話す場を作った。
これらは全て、今日参加したイベントでの、参加者のみなさんの言葉。
言葉の細部とか話の流れは、元のものと違う所も多々あります。
話した内容はこうゆう感じでした。
村本大輔さん
鎌田安里紗さん
赤澤えるさん
藤原ひろのぶさん
ばーーーーーってケータイにメモしたものを、ここに自分の記録用としても残してみた。
なんか、衝撃が多きすぎて今も頭ぷしゅ~~~~ってしてる感じ。消化しきれてない感じ。頭がこーーんって殴られた感じ。
なによりも、参加してよかった。
自分は問題から目を背ける方にはなりたくないな。
しょうがないで終わらせる人にはなりたくないな。
また尊敬できる人が増えてとても幸せだ。
でも尊敬だけじゃなくて、そこから自分がなにができるかを考えて、行動していきます。
今日は眠れるかな。