マナーの時間
もうどうしても会うことは叶わない。
人生で師と呼べるひとが存在し、出会うことはほぼ奇跡だと言っていいだろう。
それは、どちらかが亡くなったら、叶わないからだ。
私は、それまで運の悪い人間だと思い込んでいた。その瞬間が訪れるまでは。
セツ・モードセミナーという私塾があった。絶妙に昔の話だ。1980年代の広告はセツ・モードセミナーの卒業生の作品が多かった。セツ・モードセミナーの卒業生のことは当時の広告を知ってる人にとっては、相当懐かしい気持ちになると思う。しかし、主宰の長沢節先生という人は、私にとっては装苑という雑誌で映画評論をしている方という認識しかなかったと言っていいと思う。ただ、
当時の花形イラストレーターの先生だと知った時、この私塾に行ってみたいと思った。
試験はくじ引き。。。私は3回落ちた。しかし、私の時代は『3回落ちた人は入学する権利がある』という風になっていて、私はセツ・モードセミナーに入学することができた。
友人になった人たちは、みんな年上ばかりで、全員が一発で当たりを引き当てた人たちだったので、いじけた。。。
セツ・モードセミナーは『世の中には、上品と下品しか評価基準がない』という教えがベースになっていて、それを色面で表現する他に
マナーの時間というものがあった。この教えは現在とても役立っている。しかしこの教えは
そこそこ度胸が必要なのだ。
「おまえら、ブティックって、どういう意味か、わかっているか。服飾店のことをブティックと思っていたら、違うぞ。ブティックとは『店』という意味だ。どんな『店』に入っても、「こんにちは」と言ってから『店』に入りなさい。日本には、それができないやつが多すぎる。いいか、年上だろうと、なんだろうと無言で『店』に入るやつは全員
泥棒だ」
だから、日本人のほとんどは泥棒入店をしているということになる。「こんにちは」とは「入店しました!泥棒じゃないです!」という意思表示を言語化しているのだ。この教えを受けた時、
親だろうと、公務員だろうと、役職ついていようと、高学歴だろうと、大手企業に入社していようと
あの偉そうな人たちは全員、
泥棒だったんだ〜!
と、思った。
現実として、どんなお店に入る時も「こんにちは!」と言いながら入店するのはそこそこ勇気がいる。なぜならば、店員さんに挨拶をする客は
私ひとりだからだ。
多数決でいうと、私が間違っていることになる。但し、世界基準だと私が正しいということになる。
なにか考え事をしていると「こんにちは」をいうタイミングを逃してしまうことがある。その時は別の教えを使い、リカバーする。それは、なにかをしていただく時に「お願いします」といい、サービスを受けたら「ありがとうございました」ということなのだが
これも、日本人のほとんどが『金出したから、やってもらって当然だ。お客様は神様なんだ』という下品な意識が植え付けられているため、ほとんどの日本人はできない。
それでも、少数派である私は今日も大小関わらず、お店に入る時はほんの少しの勇気で
「こんにちは」
「お願いします」
「ありがとうございます」
と、微力ながら、師長沢節の教えを続けている。
むしろ、この教えは定着させないといけない。なぜならば、無言で入店よりもどう考えても、こちらの教えが正しい。この教えが定着しないのは間違っているからだ。
真っ当な仕事をしている人に感謝の言葉をかける。
このイーブンな教えは
世の中を上品にする第一歩だと
私は信じている。