一代で終わる運命

普通の人生より、ある意味ミステリアスかもしれない。

私の話だ。私は一代で終わることを四半世紀くらいで知らされることになる。それは整骨院だった。

拒食状態が解消された後、家族からの「働け!」コールがすぐに始まったのだけど、たぶんそれは

医学的には間違いだったように思う。
「働け!」と追い詰められていったわけだけど、もうこのあたりから

完全な愛情不足問題が身体の外側に露呈したのだと思う。感情を隠し通すことができないレベルで追い詰められていた。その点第一子は私を吐き溜めにして生きていったことで

私が近くにいた時は、この状態からは逃れていたんじゃないか。と真剣に思う。

あまりにも「カネ、カネ」言われすぎて、子ども時代に散々渇望感を同級生にばかにされるほど味わってしまい、「働かなきゃ。。。お金。。。お金」と地獄の餓鬼のように『なにか』を探していた。

たぶん、それは自分を守ってくれるなにか。だったわけだけど、とても「すきだ。」だけでは守れない部分で。だからといって「お金だけ!」というわけでもなく

私をいじめない人。
優しいという強さがある人。
もちろん、お金は必要。
できれば、その人の家族も

私をウェルカム!な家族。

そんなものは存在しないわけで。

。。。なんていうか、男も女も、夢見てるじゃないですか?『ステキな家族!』みたいなの。。。今なんて、物凄いウソ広告みたいなやつ、あるじゃないですか。

。。。両親共働きで、家があって、子どもは明朗で。。。みたいなやつ。無理だって!最低でも、子どもが中学卒業するまでは、なかなか難しいって(事故発生により、書いています)!

このまま体重なくなって死ぬのか?という感じで、家族は助けてくれないから

高校生の時にバイトしていた花屋の仲良くしていただいたパートさんを頼って、病院に連れて行ってもらって、内服をしたところ

父親に止められた。。。「そのまま薬漬けになるんだ、この麻薬が!」たぶん麻薬ではないのだが。

それから暫くの間は私は「麻薬」と家庭内で呼ばれた。毎回こんな感じ。

内服しながら頭はボーとしていたけど、たぶん、

ボーとしていないといろいろまずかったのだと思う。医療的に内服していないと、自分を守れなかった。と今、引き目で考えても思う。

内服が必要なのに、それを赦さない。なんて

頭がおかしい。

緑内障なのに、目薬さすな!みたいな話だ。

自分では体重が戻ってもまだ時間は必要だとわかっていたけど

日本国憲法では、働かないことは赦されない!と家にいるクレイジーが私をいじめる。
父親がクレイジーであることがなかなかわからなかった。頭がおかしい支配欲が強い父親が

普通の父親だと思ってた。。。
父方の祖父も国家公務員だったので、カネ持っているありき。の意地悪が壮絶で、狂ってた。

ただ、その狂ってる方が、なぜか『正しい』となってしまう場合がある。カネの正義だったわけだけど、このカネの正義も

親戚になった男に奪い取られることになる。ということが私が2才くらいで発生したので

私はずっと渇望感の中しか体験したことがなく、

父親だけが好き勝手に生きてた。。。

苦しい。苦しい。お金がないって、苦しい。。。お金がないって、

息ができない。みたいな辛い経験が永遠に続く。みたいな感じで生きることになる。

この苦しさから逃れるには、とりあえず、なんとか働かなきゃ。。。という感じだったのだけど

医療機関で入院してから、医療機関で清掃とかで働いて、賃金の支払をしていただいて、どこかで寮生活して。。。みたいな流れだったらよかったかもしれない。

自分の家に妖怪が住んでいて、誰も助けてくれない。なんて、家に住んでいると

わからなかった!
いろいろ毒されていて、いろいろ麻痺していて。というか

たぶん、この地域がいろいろ問題があるような感じなんだ。小学校の先生も「勉強できないくせに笑うな!」みたいなことを言って。私に言って、次に男の子に言って。2人は耐えた。のだけど、3人目の犠牲者の女の子は

その子の父親が激怒。その女の子は父親が「そんな学校に行く必要はない。その先生はおかしい」と、その女の子は守られた。結果的に

その女の子は3ヶ月くらいは学校に来なかった。途中から担任が午後の授業を自習にして、スーツを着て、その女の子の家まで、頭を下げに行っていた。その女の子はいろいろケアされたが

私ともうひとりの男の子はケアされることはなく、勉強がわからないと当たり散らされた。

なんていうか、私は勉強がわからなかったけど、バイト先とか派遣先にヤバいやつはいた。けど

小学校と中学校の先生の頭がおかしいレベルが異常で。うちの父親もたぶん同じくらい異常で。ということは

この地域、相当ヤバい。。。ということになる。結局、『ヤバいのが普通』で、ずっときてしまったから、なんか、麻痺していたのだと思う。

大人が威張っていることが普通で
大人の男に虐待を受けることは通常。みたいに麻痺していた。気の強い者は男も女も

その気の強さ必要ですか?
ただの八つ当たりじゃないですか?
ほんとうのところ、ひとりでいられないだけじゃないですか。こどもですか?みたいな。

優しい人という宝を破壊する地域だった。

なんかそういうやつが入り込む隙が、この地域には存在する。

話を戻していく。拒食状態を脱した私は本調子ではないのに、外見上元に戻ったので、心臓がドキドキした状態でも働かなければならなかった。自分に自信なんてものを付けさせてくれる環境なんてものはそれまでの経験に存在しなく、とにかくカネが必要と

強く思い込まされいた。それは
自分より、弱い者を製造しているような感じ。

この家は誰も私のしあわせなんて望んでいない。

下僕の如く、裏方仕事で働いた結果、腰の感覚が突然なくなった。これはまずいと思った。力仕事で、ずっと重いものを運んでいた結果、慢性化して、突然腰の感覚がなくなった。というストーリーで。だから、仕事を辞めたのだけど

親に日本語が通じない。

その時はまだ歩ける状態だったので、整骨院へ行ったら、ヘルニアの手前。という判断で治療が開始された。最初は普通だった。その整骨院で院長よりも腕がいい先生がいて。よくシステムはわからないのだけど、その腕利き男の先生が私の治療が多くなっていって。

たぶん、自分は素晴らしい人間だ。
こんなことも知っているんだ。というような自慢のようなことだったんじゃないか。と思ってる。

「hanashimaさん、子ども、産めないよ」

こういうことを私は突然言われることが多いように思う。それはどこかで

こいつには何を言ってもいい。
こいつより自分の方がえらいんだ。というような傲慢さを受け入れるところが私にはある。それは

第一子がずっとそれを私にやっていたことが、なぜかその場面を見ていない者も同じようなことを再現するんだ。

どこか『おまえをけなしたい』というような下品が私を食べにかかる。

人間って、そういうところがある生きものなんだ。

忘れるな。この経験が
あるやつとないやつでは道が違う。下品に食べられる経験をしたら、次は『回避』なんだ。何度も何度も食べられているんじゃない。回避なんだ。戦う必要はない。『あ、下品だ。

この場から立ち去ろう』

これだけなんだ。なかなかできないかもしれない。でも、練習すればうまくできるようになる。この場面、知ってる。ってなる。

順番なので。次はそいつの家の中で『いちばん弱い者が人間に食われる』。それだけなんだ。つまり、これ、回っている。とほぼ言っていい。

私は人の下品を刈り取ることはできない。
本人のところへ『ふこう』は返っていく。

骨格の問題らしい。私の生まれつきの骨格が女性のかたちをしていなく、男性のような骨格の持ち主だから、子どもを産むことに向かないとか、おそらくは出産するまで支えることは不可能だろうとか、そんな話だった。

まぁ、流産とか、悲しい思いをすることがなく、よかったんじゃない?みたいに思っているけど、

なんか結婚の幅は狭まった。というのがあった。

人と付き合ったり
私のような残念な人をすきになってくれる人がいても

まぁ、退場するよね。その背景を見たら
『きっと、あなたのご家族は孫を楽しみにしていることでしょう。どうか、

お幸せに!』

。。。なんか就職お断り!みたいな文面みたいな気持ちになってしまう。毎回そうだ。

私ごとぎが!だ。

必ずしも、子どもを持つことだけがしあわせとは限らないけど、それになんか思っていたことがあって。それは私が父親にされたように

「俺は苦しんだんだ、おまえらも苦しめ!」と

与えられるのに、永遠に与えないという無限地獄を私も自分の子どもにリピートすることを恐れた。という部分は意識としてあった。

私は自分に子どもができた場合は虐待する要素を持っている。という自覚があったのだ。

昔、ある派遣先で、子どもが大好きな女性がいて。3人?4人?産んでいるという話で。もう、えー!って感じなんだけど、子どもが大好きなんだ!という話で。それで当然のように

「hanashimaさんは子ども何人欲しいの?」
みたいな話にはなるわけで。。。

「0人なんですよ。私、子ども産めないらしいんですよ。整骨院で言われちゃって。もう

骨格から無理!らしいんですよ!残念!」
としか言いようがなく。

まぁ、それを言われてから人生がどうしても『産まないような選択を自分でする』ようになっていったのは事実で。

元々、愛とか恋とか欲しているくせに、臆病すぎて。よく「日本人はシャイネス」と言われちゃうやつだと思う。

そうしたら、その子ども大好きな女性は「なにそれ」と

激高した。ことに私が驚いてしまったのだ。

「なにそれ。その整骨院のやつ、酷いじゃない。そんなことを言われた方は人生が変わってしまうじゃない。なんだよ、そいつ。整骨院だけがすべてじゃないんだよ。産めるよ。そんな骨格の問題だったら

十月十日、ずっとベッドで過ごせばいいだけの話じゃない。

なんだよ、そいつ。骨の知識はあるのかもしれないけど、人体とか人間のこと、まったくわかってないじゃない。ばかだよ。そんなやつが言ったことを間に受けてはいけないからね!」

世の中にはいろいろすごい人がいる。派遣先の同じ派遣の方から、こんなことを言ってもらえるとは思ってもいないことで。

私はいろいろ気にしすぎで。
現実として現在、子どもがいる生活はしていないし、それ以前に

祈ってしまったので、結婚することもなく

。。。まぁ、世の中には結婚することもなく、子どもがいる方はいっぱいいるのだが。。。

私は長沢節先生のように、一代で終わり。
私は長沢節先生のような

よその子を教育できる人間にはなれない。と思ってる。

「おまえらのような未熟な人間が」

どこかその言葉を聞いて安心している自分がいた。未熟な私はどんな人間になれるのだろうか。と。今もとても成熟したとは言えず

未熟な人間で。

私は一代で終わる運命。

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