世界から戦争をなくす
この話は、今話すタイミングだと思う。
ただ、考え方としては突飛な発想だ。
私の師、長沢節が考えた『世界から戦争をなくす方法』だ。弱い人間至上主義の世界をつくる。それが世界から戦争をなくすのだ。体格的にも弱くて、心持ちの優しいひとを愛する世界をつくる。まぁ、上品で優しい人たちで溢れるような世界になるとする。
体格的に弱いから、戦力にならない。。。
心持ちが優しいから、戦力にならない。。。
下品の最上級が戦争なので、上品は平和ということなので、
私は上品でいたいし、弱い人間だから、戦争に不向きです。という感じでしょうか。。。
下品を軽蔑しろとか、戦争を軽蔑しろとか、男社会だと戦争になるとか、もうセツ先生が亡くなって30年くらい経っていると思いますが
セツ先生、良い面と悪い面が未来ではできています。
弱い人間を認める世の中に日本は少しずつ変わりつつあります。情緒的な部分で、うつくしいものがわかる若い人とわからない若い人が出てきています。
わかりやすいくらいお金で動く人たちと
知的に広く勉強や経験でお金で動く人たちの真偽を見抜く人たちと。
人が別物なのか
時間の使い方が別物なのか
お金の使い方が別物なのか
もう話し合って和解できるレベルではなく
自分が得するとか、自分のことが大好きとか
フィールドが違いすぎて、お話しになりません。。。
セツ先生は戦争が嫌いだという理由から、進学を国から拒否されたという異例な人でした。戦後も国から「長沢節の描く人物は細すぎて食糧難を想像させて不快だ」というような批判をされても、まったく動じなかったようです。このことはセツ先生はおっしゃっておりませんが、セツ先生が亡くなった後、他誌から読んで知ったことでした。
そこがかっこいい。
かっこいいという言葉も、どうやらセツ先生の造語だったらしいです。これも他誌から知りました。ただ、私は、セツ先生のところにいた期間は2年だけでしたが、セツ先生の口から
かっこわるいという言葉を聞いたことがなかった。
おそらくはマスコミが『かっこわるい』という言葉をつくったんじゃないかと思います。セツ先生がつくった『かっこいい』という言葉の反対語をつくる必要があったでしょうか?私は今、ファッションイラストに時々嫌悪を感じることがあります。
『この服装はかっこわるい!』
『この髪型はNG!』
わざわざ人の悪口をイラストにする必要ありますか?こういうことは中原淳一さんも見たら否定的な意見を持つと思います。それだったら、完全にこっちの表現だと思います。
『思いつくかぎりの上品な服装や髪型をイラストで表現しました。貴方にお似合いのスタイルはどれだと思いますか?』
私は親の強要で高校の普通科に通いながら、通信科で美容学校を卒業していますが、夏休み期間中美容学校へスクーリングの単位を取るために通学して、美容実習教官と美容学科教官に国家資格のためだけの授業を受けましたが、「これはダメ」とか「これはよくない」というような指導を受けた記憶がないんです。指導を受けても「こうした方がいいね」とか「ここは大事ですね」とか、そんな感じで
人を否定して儲けてどうする?
人をばかにすることが、悪いことの一手というか、一歩目というか
その結果的に誰もが嫌な気持ちになる表現がバタフライエフェクターになって
現実として戦争がはじまったのだと思います。
藤子不二雄先生のドラえもんに出てくるタケコプターはドローンの登場で『あぁ、現実に現れた!』と思いました。しかし、早速戦争利用されました。
夢見ることは現実にできる
ウォルト・ディズニーの言葉。それは愉しさや幸せのエンドロールのようなイメージを私は持っていましたが、一部の人間が違う方向へ向かわせようとしている。
では、私たちにできることは?
正直なところ今はお金なんですが、自分たちも今、物価高で相当疲弊しています。では2番目にできることは?
1から2をつくるくらいしか、思い浮かびません。。。
表面的にうつくしい表現をする。きれいにする。どちらかというと、自分のことより自然に敬意を示して。なんか植える。そして増やす。それで、いいひとにあげる。粉とイーストと遊んで、パン作る。それで、いいひとにあげる。すごいテキトー。。。
セツ先生が生きていたら、なんておっしゃるだろう。
「おまえ、『A』だ」
だったら、嬉しいんだけどね。