そのルールは正しいのか

日本の現在の経済として、私個人は日本政府は食品は持ち帰りのみ消費税率8%とし、それ以外は10%という話だった。その中に時々例外を認めるものもある。というような話だったと記憶している。

新聞はたしか例外の8%据え置きだったと思ったのだが、2段階値上げがあり、現在4,600円。。。嘘だろ。と思った。。。うちは朝刊紙のみでお使い3,800円だったような。。。ギリギリ5,000円以内に収まっているけど。。。

という話を身内が過去新聞配達の仕事をされていた方に話したところ

「そんなに上がってるの!」と、びっくりで。

うちもなかなか厳しくなってきた。という話はして。

ただ、私はまだ食べることに困る。というところまで追い詰められていない。という部分はあり、日本政府の食品持ち帰り消費税8%と、それ以来は10%の値上げというのは

国民的な感覚では消費税20%以上の値上げだった。。。

感覚がまだ掴めない。なんか毎回300円くらい足りない。という感じになる。私はまだ現金で支払をするので「うわっ、札をまた崩さないといけない」となるんです。けど

電子決済だと、この感覚もわからない。と思います。

その昔、『リボ払い』というのがあったんですけど(今もあるか)私のうちがクレジットカード禁止令というのがあるので、すべてが正しくないかもしれないのですが、『リボ払い』に関して

イメージ戦略みたいなのがありました。
『リボ払い』は突然できた分割払い方法で、たぶん私が十代半ば?後半?くらいに突然『リボ払い』のCMがテレビで流れていて。ある百貨店のカード会社のCMだったのですが、かわいい女の子がカクカクした動きで『リボ払い』のCMをしていて。ポップなつくりのCMで。それまで『リボ払い』というものが存在しなかったこともあり、CMとしてネガティブなイメージがなかったんです。

それが罠だったらしい。
『リボ払い』は、地獄。という話を聞いた。。。

たぶん、イメージだけで、私たちは相当な数の騙されているのだと思う。だいたい騙されてる。

まず、標準から、いろいろおかしなことになってないか?みたいな話になっている。まず、私に子どもがいないので、感覚的に『hanashimaさんの感覚は古い』ということになってしまうかもしれない。

いつから、
『保母さんや保父さんになる学校が専門学校で「2年勉強する」のではなく、大学に変わり「4年勉強する」ことに変わったんですか?』
というのが、違和感のひとつだった。

専門学校がいつの間にか大学に変わっていたり、更に2年制や3年制だったカリキュラムが大抵4年制に変わっている。この時点で

資格試験を取る勉強というか、場合によっては資格試験を取る権利に4年支払が発生する場合がある。という話で。倍に変わってんの。だいたい4年勉強することに変わってんの。

もう勉強じゃなくて、金儲け感すごい。

どうなんでしょう?今だったら『すべての知識を持ち合わせているのならば、資格試験の権利を認める』とした場合、YouTubeとか?で勉強して、試験パスできる子は発生すると思ってる。ただ

それは、とんでもなく優秀とか、その専門知識が大好きだとか、天才とかだけ。です!

私が好きな天才は大卒ですが、『学費免除』だったらしいです。大学で上から数えて何名かは『学費免除』になるらしいです。ため息しか出ないよ。

あと、以前に私が母親に高校2年生の夏休みと高校3年生の夏休みを高校に通っている状態でなぜか無理矢理美容師にさせたい。というよくわからない欲に付き合わされて、美容学校のスクーリングに行かされていた。という自分でもよくわからない話を書いたのだけど

実は、母が美容師資格を取った頃は『中卒でも取れる国家資格のひとつが美容師資格だった』という背景があり、私が中学に入学したくらい?かな?突然『中卒で取れる国家資格が存在しなくなる』という謎現象が発生した。『中卒で取れる国家資格』は、必要なんです。ドキューンだらけにされるんです。ドキューン辞めさせるのに、『中卒でも取れる国家資格』は都合が良かったんです。ドキューン以外でも

職人は若いほどのみ込みが早く、若いほど

ずるいことはいけない。と、叩き込むのにいいはずなんです。ほんとうに叩くわけじゃなくて

『人間性テスト』が待っているんです。
勉強ができない子ほど、『人間性テスト』は良かったりするもんなんです。

みんな流されているよね?

流されないで生きる方が難しい。

友だちが進学するから、自分も進学する。とか
なんとなく興味がある(それが当たり!である場合も少数いるが)で大学に進学する。とか

かんたんに大きな金額が動いている。年間100万円前後の学費を20万円前後くらいを動かすことみたいに子どもが捉えている感じはある。単純計算だとそんな感覚かもしれない。ここに10%入る他に、生活すべてに数字上の10%が入ってくると

なんか変な感じになる。。。

以前も書いたかもしれないけど、まだ円安にはなってない感じで、今のような株価大暴落のビューティフルサンデーの真逆みたいな言葉が出てくる前のいちばん最初の消費税率が上がって3ヶ月後くらいに、私自身もうまく計算が掴めない時に

スーパーマーケットで市場調査している一家を2組見たのだ。家族構成もだいたい似ていて、両親がいて、子どもが2人か3人かくらいで。いわゆる核家族だったのだけど、パッと見が

両親が私くらいの年齢のように見えた。いわゆる『勝ち組』の人たちと『メディアが表現した人たち』だ。その『勝ち組』の人たちが

「こっちは高い。向こうのスーパーの方が安かった」と市場調査を家族でしていたのだ。

たぶん、『勝ち組』はこれから厳しいかもしれない。自分『負け犬』ですから、もう

負けようがない。既に負けているので!

。。。たぶんね、車で来たでしょ。そこから、いろいろ間違いで。基本、徒歩とチャリで。

ガソリンと車がいちばん高かったりして!

なんていうか、教育にいろいろお金が掛かるとか、支払方法にお金が掛かるとか、お金の使い方に、既に私の年代で

相当な洗脳をされていて。

いちばんわからないのが、
『雑巾は100円均一で買わなくてはいけない。みんなと同じでなくてはならない』。

やばいと思う。
手縫いの雑巾禁止令とか、ほんとうにやばいと思う。私、雑巾くらい自分で縫え!って、手縫いで雑巾縫ってたんですけど!

たまに、裁縫好きのお母さんがいる子の雑巾が男性のインナーのような白地に

刺し子が施してあって、めちゃくちゃ綺麗だったのだけど、そんなステキ雑巾(もう日本語がいろいろおかしいが)なんて

一生見ることがない人がもういるのだ。

それって、いろいろおかしなことで。
私は小学生の時点でコストカットされて育ったので、外見的なコンプレックスは

一生ついてまわることでしょう。それは
自分は人と違う。とか
自分は醜い。とか
残念な方です。

周りの人は満たされていて、すごい人に見えてしまうし、自分は『人並になれることはない』という前提が一生ついてまわる。のならば

もう人並以上か、人並以下になるしか、道がないんです。選べないんです。もう人並以下なんて

嫌だね!ふざけんな!って

やっと思えた。もう嫌だ!と言うとか、表現できるようになった。やっと、

怒りの感情を手に入れた。

どんだけ我慢強かったんだ。という感じ。嫌だ。嫌いだ。が、言えなかった。自分が我慢することで、なんとなく家族が成り立っている感じというか、空気を読んでいた。

ただ、私が「もう嫌だ!」と言ったら、我慢強かった母も崩れたのだ。

私や母が「もう嫌だ!」と言ったのは、父親に対してだ。それは祖父の代から始まっていた。クソ意地悪があった。それは少なくとも私が知り得るだけで

現在3代続いている悪習だ。

たぶん、誰かがその場で「おまえ、ふざけんなよ!」とか「いいかげんにやめろ!」とか本気で怒らないといけないやつだ。

そこに善意のカケラもなく、外野を味方につけないと一生終わらない。と言ってもいいと思う。

物を買って来い。と、お金を渡される。お金を渡した方は自分はえらい。と思い込んでいる。たいてい「◯◯だったら、なんでもいい」という枕詞がつく場合が多い。たとえば、シャープペンシルということに仮定する。なんでもいいと言われても、本人ではない。というのがある。「なんでもいい」と言われている。だから、自分なりに金額とか、実用性とか、かわいさとか、買える金額以内のもので、いろいろ考えながら、一本のシャープペンシルを選んでお店で買って、帰宅して、本人に見せる。と。。。

「なんでこんなもん買ってきたんだ!」と

3代もやられてきたんだ。。。おまえが買いに行けよ。という話なのだが、祖父はそれなりに地位が高い人だった。という事実があったのだが

残党2代は

まったくたいしたことない。。。

。。。よく「からだが動けるうちに旅行に行きたい」とかあるじゃないですか。わけがわかるんです。年々歳を重ねてからだは良くなるって、完全に少数じゃないですか。だいたい病気とかするのが普通の経験くらいになっていくじゃないですか。

自分から、動くの放棄するんですよ。そのバカ3代。それでクソ意地悪。

それを母に「笑っていなさい。我慢しなさい」と、ずっと我慢してきた。少なくとも

いろいろな要因が重なり、だんだん笑えなくなってきたのが小学生の時で。

この「選べ」的な悪習は応用が効いて。クソずるいんです。要は

何を選んでも負けるように『仕組まれている』んです。ほんとうにクソです。私や母が一生負け続けるような意地悪で、

選択肢を与えられた時点で、もうクソ意地悪が始まっているんです。これはものとは限らないんです。思想だったり、場合によっては

人間だったり。。。

なんでこんなクソ意地悪に母親に言われたからと、我慢をし続けたのだろう。

実は一度、第一子に対して足蹴りしたことがある。日々我慢を続けて、ちょっとしたことだったのだけど、

それまでの星の数ほどのそれまでの我慢があり、いわゆる『ブチ切れ』が発生した。第一子が中学生で、私が小学校高学年だったのだけど一度足蹴りしたら、痛さよりも『ありえない』とか『信じられない』という顔をした。たぶん、ありえないことだったのだと思う。

だから、もう一度、足蹴りしたら、号泣し出した。

ありえないんだよ。少なくとも、その人間にとっては『あってはいけないこと』なんだよ。だが、あってはいけないことは発生した。すると

私が父親に怒られた。。。

「年下が年上に逆らうな!」

おまえはどこの儒教だよ!
儒教だったとしても、完全に間違えているやつじゃねえか!

体育会系かよ!
自民党かよ!
みんなルールがおかしいと思った時点で

「内容がおかしい」と言えないようにさせられると、簡単に飲み込まれるぞ!次に自分から「内容がおかしい」と思っても、

なかなか言えない状態にさせられる。その洗脳は内部では解くことはほぼ不可能だ。

もしも、お金が掛からないような完全な『悪い思い込み』をさせられているような人が友だちにいたら

あなたが「それは違うよ」と解いてあげて。

悪習というルールは、カウンセラーやコーチングでも見抜けないと思うし、見抜いた時に

自分の収入を左右する当人を目にした時

人は必ずしも正しい判断ができる。とは限らないし

むしろ、逆だと思う。

金蔓がいなくなることを恐れて、敢えてわからないフリをするかもしれない。

「それは愛です」とか、テキトーなことを言ったりして。『宇宙』とか『真理』とか、いろいろよくわからない人が大勢いる中にほんとうに少数だけ、先生について占星術とかやっている人は

本物は強いよね。

だんだんわかってきたのだけど、切り貼りみたいなことをしている人がいる。ひとつだけ、いちばん自分が『人から需要があったものに絞るのが正解』なんだけど、いろいろな人のものを取ると、どれが売れ筋なのか、本人も周りもわけわからなくなって、突然破綻する。とかある。

今、私は『誰かにとっては結果の世界にいる』のだけど、

なんでも親に買ってもらえて、自信満々だった人たちが大変なことになっている。けっこう多いのが『自分の家はお金持ちだと思い込んでいたが、親が『無理買いしていた』』とか『自分の家はお金持ちだと思い込んでいたが『実家がなくなった』』とか、だいたい明るい話ではない方だ。

その究極なのが上記だと思う。メディアのいうまま『勝ち組』になって、家庭を持ったのに、なぜかお金がうまく回らない。なぜか。

メディアと日本政府の思い通りに行動すると

不思議とお金はなくなります。

メディアと日本政府はグルだと思った方がいい。今までの歴史がそうなんです。いちばんよくわかっているのは

沖縄の人たちです。
沖縄の人たちが本土の人間を嫌うのは、真っ当だからです。逆に沖縄くらい遠くじゃないと

日本という国を『普通に見ることはほぼ不可能』です。

何が言いたいか?というと、『今の経済的、政治的、社会的な動きをすべて疑え』という話です。全部おかしい。何かひとつでもいい。今まで『あたりまえ』だったものは

これから音を立てて崩れる。

円安とか、金価格とか、株価とか、全部良くなる。とかは普通にない。のだけど、うまくいえないのだけど、イメージとして

1,000円玉とか?
五万圓札とか?

そういう感じ。伝わらないかもしれないけど、私はそんな感じを受けるんだ。

だから、独り勝ちみたいなことは、これからは難しいように思う。ただ、自分がお世話になっている人とか、近くにいる人に敬意を表し、できることはやる。それだけで、

生活自体が変わる場合もある。
それだけかな。
そういう『ルールをつくる』のも、あり。と言えばあり。かな。

寝ます。おやすみなさい。

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