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2001年11月のしし座流星群、覚えてる?

 先日恥ずかしながら、2つのショートストーリーをnoteにアップした。

 脳内妄想を大披露しているみたいで心から恥ずかしかった…。文章も読みにくかろう。
 とはいえ機織りをしている最中に物語が思い浮かんだり、ある光景がパッと瞼の裏に映し出される日常がわたしにはある。色や模様に刺激を受けているからだ。
 他の人の場合はどうなのかも気になるところ。機織りに限らず、ものづくりをされている方に尋ねてみたい。

 前回織り上げたものについては「反物・イラスト・物語」の3つが揃い、自分のなかではひとつの作品になっているからどこかに残しておきたかった。
 また、目を通してくださった方が「織り」を身近なものとして感じていただけていたら嬉しい限りである。

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 『流星群』のタイトルをつけた物語では、2001年11月に観測されたしし座流星群について触れている。
 実は当時わたしも、ひとり夜中に自転車を走らせ見に行った思い出があるのだ。高校1年生だった。

 星の知識はまるでない。びっくりするくらいない。オリオン座だけは夜空に見えたら認識できるが、オリオン座が何という名前の星で形成されているのかは何度聞いても忘れる。
 そんな自分がしし座流星群を見に行った。「流れ星」は漫画やドラマの世界にしかないものだと思っていたから、現物を見てみたかった。
 テレビでも連日話題だったため、見てみたい熱が一層掻き立てられた。今調べてみたら、1時間に数千個以上のまさに「流星群」が現れていたらしい!

 あの夜、わたしは幾つ流れ星を目にしたのかな。数までは覚えていないけれど、とても大きな星が明るい青色の光を放った瞬間、その場にいた人たちがあげた歓声を忘れられずにいる。誰の顔も覚えていない。でも、誰もが同じ目的を持ち夜空を一心に見つめていた。だから星が流れるたび一体感に包まれた。後にも先にもない体験。
 忘れられない体験をした場所。あの夜ひとり自転車を走らせ、しし座流星群を見た場所。それがタイトル画面の写真にある土手だ。

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 みなさんは、不可思議/wonderboyというラッパーをご存知だろうか。
 わたしが彼の存在を知ったのは今から7〜8年ほど前だった。
 音楽には疎く、特にラップはまるで興味がないないどころか苦手だったなか「ポエトリーラップ」なるジャンルを知り一度聴いただけで惹かれてしまった。

〈ポエトリーラップ(ポエトリーリーディング)とは〉

主にラップミュージックやビートボックスなどのトラックの上で詩を朗読する音楽形態を指す。
メロディーに乗せない歌唱法という点でラップと共通するが、ポエトリーリーディングはリズムや韻も重視しない場合がほとんどである。
その特徴により、歌唱技術よりも情景描写や感情表現を重要視した楽曲が多い傾向にある。
また、ラップよりもトラックのジャンルが問われないため、幅広い曲調があるのも特徴の一部である。

ニコニコ大百科(仮)


 不可思議/wonderboyさんが歌うラップが、この「ポエトリーラップ」なのである。
 そして彼の楽曲のひとつ「Pellicule」
 YouTubeで再生させたとき、鳥肌が立った。


 歌詞に出てくる「流星群」。MVに映し出される「土手」。
 2001年11月に、高校生だったわたしが流星群を見るために目指した土手に不可思議/wonderboyさんが立っているではないか。

 こんな偶然ってあるんだな、と思った。
 歌詞に出てくる「流星群」はいつごろの何座流星群を指しているんだろう。

そういえば昔さ、いつだったっけ覚えてる?
流星群がくるからって校庭に集まって
寝そべって夜空を眺めてたんだけど
時間だけが流れて星なんか流れないの
あぁ今俺もしかして上手いこと言ったかな〜
寒かったな〜 あれもう二度とやりたくないけど
次の流星群っていつくるんだろうね?
まあ別にそんなこと どうでもいいんだけどさ

「Pellicule」/不可思議wonderboy


 歌詞を読むとまったく星は見れなかったようだ。
 彼とは生まれた年が1年しか違わないから、同じ時代をほぼ同じ年齢で生きていたことになる。
 ちなみに「Pellicule」は、タイへ行ったまままだ帰ってきていない地元の友人に向けた楽曲なんだとか。

 イントロだけでもう心が掴まれる。
 聴いたことがない方には是非聴いていただきたい。

✽✽✽✽✽

 しかしながら、わたしがはじめて聴いた「Pellicule」の歌い手は不可思議/wonderboyさんではなかった。同じくポエトリーラップをされている神門ごうどさんの「Pellicule」だった。
 不可思議/wonderboyさんのカバーというかアンサーソングというか…リスペクトがしっくりくるのかもしれない。


 お聴きいただいた方は察しがつくように、不可思議/wonderboyさんはすでに他界されている。2011年6月に。24歳だった。
 つまりわたしが彼の存在を知ったころには、もうこの世にいなかったのである。

 だからなおさら胸に響いた、とかそんなことを言いたいんじゃない。
 不可思議wonderboyさんがかつて友人と送った日常を切り取った歌詞が、あのMVが、わたしが生きた過去を証明してくれているみたいに感じられるから胸が締めつけられる。

 しし座流星群を見に行った土手がある場所は、高校の通学路でもあった。
 高校に限らず「学校」そのものが嫌いだった自分にとって10代は忘却したい記憶のオンパレードなのだけれど、あの土手を見るたび重たい腰を上げ毎日「前へ進みたくない」と自転車のペダルを漕いでいた自分の残像を同時に見る。
 地獄だった。学校も家の状況も体調も最悪だった。できれば残像すら見たくないところなのだが、あの土手に立つ不可思議/wonderboyさんを見ていたら通学していた自分だけは、「クソがっ!」と嘆きながらもペダルを漕いでいた自分だけは肯定してあげてもいいように思えた。

 何より、名前も顔も知らない人たちと夜空を見上げ歓声をあげた場所。はじめて本物の流れ星を見た場所。2001年11月。三十数年に一度のピークと言われた、しし座流星群を見に行った場所。

 今ではあんな行動力はない。寒さが堪える年齢になってきた。流星群の情報を耳にしても「暖」と「眠」を優先してしまう。
 次のしし座流星群のピークが来る年まで生きていたら、わたしはどうするんだろうね。

 ひとつ言えることがあるとすれば、あの土手は必ず思い出す。そして、不可思議/wonderboyさんの「Pellicule」のMVをひとり静かに再生させているだろう。

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