ごめんやで、父さん。
7月最終日。
今月は父親の命日だった。特別何もしていない。ごめんやで。
当日忘れていたわけではないから許してほしいが、7月最終日の今日「ああ、そういえば今月は父さん命日だったな」と思い返したのは、こだまさんがwebで連載している『おしまい定期便』を読んだからだった。
当日はちゃんと覚えていたから。7月上旬の記憶なんて半分先月みたいなものなのだから…ごめんやで。
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昨年の文学フリマで購入したこだまさんの『西瓜になった父』では、お父様の葬儀の様子が記されていた。今回の『おしまい定期便』最新回では、お父様の一周忌に触れられている。
一般的に厳かな空気が流れる場面。こだま家は、一味どころか何味も違う。このタイミングで!?出くわす現象を引き寄せているのはお父様なのか、著者であるこだまさんなのか。とにかく登場人物の誰かしらにひと笑いさせられる。
しかしお父様が歩んできた道のりや、お祖母様の法事でこだまさんがお父様に啖呵を切る場面。読み進めていくうちに寂しくなっていった。泣きたくなるような寂しさが打ち寄せてきた。
わたしもお父さん子ではない。
まだわたしが母親のお腹の中にいたころ、麻雀に耽っていた父。仕事中パチンコをしていたことを仲間に密告された父。「借金」と「リボ払い」の恐怖を最後まで娘の細胞に刻み込んでいった父だったけれど、長男としての役割を果たす上で自由を抑制された時代を経てきたのを知っている。
すぐキレるし声がデカいし、いちゃもんをつけたがる。デリカシーに欠けるあの父が、亡くなる直前に看護師さんから「血圧はかりますよ」と呼びかけられるなり仰向けになったまま腕だけをスッと上げた。すっかり入院生活が習慣化しているその仕草を見て、寂しくなった。泣きたくなるような寂しさが打ち寄せてきた。
わたしはすぐキレる父親が怖くてこだまさんのように啖呵を切った経験はないが、一度だけひどい言葉を投げつけたことがある。言霊は存在するのか、わたしが放った言葉通りになってしまったゆえ「寂しい」なんて言う権限があるのか今もよくわからない。
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7月が終わる。
毎年暑さが更新されていく。
父親は、自分は東京オリンピックまでは生きていられると信じていたっぽい。願い叶わず、オリンピックは次の土地パリに巡ってきた。
スポーツにまったく興味がないわたしは、仏壇のある部屋のテレビで試合を流してあげる、というような優しさを持ち合わせていない。そういう発想があったかと、ここに打ち込みながら思い浮かんだくらいスポーツに興味がないのだ。ごめんやで。
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