『夜霧に包まれた永遠』
永遠を走る夜行列車へのご乗車ありがとうございます。
ご乗車のお客様には永遠に、貴方の望む全てをお約束いたします。
窓の外には見渡す限りの星の海が煌めいて、どこからか聞こえるアナウンスの声は、その全てが私のものだと言う。
うーん、そうしたら私はどうしようか。まず、友達がほしいな。心の底から分かり合える、一生の友達。
そして恋人。尊敬できる高潔さと、他人の痛みを理解出来る優しさを持ち合わせていて、私の全てを愛してくれる。
そしてこの星空。この夜汽車を取り囲む、数え切れないほどの星の煌めきを毎日眺めることができたなら、きっとこれ以上素晴らしいことはない。
今まで質素に堅実に生きてきた私は、これだけのものがあれば、十分すぎるくらいに幸せだろう。どんな娯楽も無尽蔵に楽しめるから趣味には困らないし、労働の必要はないけれどそれでも働いていたいような、同僚にもやりがいにも恵まれた職場だって手に入る。なんでも、私が望みさえすれば。
だけどしばらく暮らしていると分かってくる。明日もまた誰にも愛され、何の不満もない素晴らしい一日がやってくる。どんなに楽しいことも、素敵な場所も、大好きな人も、毎日のように見ていればその先が分かるようになってくる。その時自分がどう思うのかも。
この幸せを、昨日も味わった。一昨日もその前も、またその前も。ガムを噛むほどに味がしなくなるように、新しい居場所を得ても、いつか必ずその日がやってくる。そのたびに趣味を変え、場所を変え、人をも変えた。一生の友達が、山のように出来た。男も女もそれ以外も愛してみた。恋人にしたいと思えばそうなったし、やめようと思えばそうなったから、山のような元恋人たちも今では一生の友達になった。
総理大臣になってみたり、世界一のアイドルになってみたりもした。だけど何をしても、私の想像を超えることは起こらない。想像ができないことを望むことはできないし、たとえ想像を超えることが起こったとして、それもいずれはこの、退屈な幸せの一部になるのだろう。
私は倦みきっていた。とうとう自分の感じ方自体を変えたいと望んでみたけれど、無理やりに幸福を感じてみても、私は幸福自体に慣れきってしまっているようだった。あんなに素敵だと思っていた星空が、もう少しも美しいと思えない。曇り空を望んでみても、台風を呼び寄せてみても、あの星空が頭にこびりついて離れない。
自分がなにを望むのかも、とうとう分からなくなってきた。幸せを望んでいるのかどうかすらも。全てが夜霧に包まれたように霞んで、何も見えないし聞こえない。私はもはやなにもかもがどうでもよくなって、望むことをやめた。
私は自分を含めた人間全ての、性格も能力もなにもかもをランダムに設定して、その設定に即した行動をみなそれぞれ好き勝手にするようにした。するとどうだろう、かつての見慣れた世界がまた戻ってくる。退屈で平凡で、いつも通りの日常。最初はむしろそれが刺激的で、だけどじきにそれにも飽きてくる。あれから私にはひとりだけ、大好きな友達ができた。恋人も、続いたり続かなかったり、何人か。彼らはかつての「一生の友達」に比べたら欠点だらけで、私の扱いもまちまちだけれど、私は彼らが、私を愛することを望まない。私が何も望まなくても、私を愛してくれたなら嬉しいと思うだけだ。
望むことと、嬉しいと思うことは違うんだな。望んだことがその通りになって嬉しいのは、その通りになったことが嬉しいんじゃなくて、私が私であることを世界に認められたような気がするからだ。私がなにを望んでもその通りになるのなら、私が私でなくなってもいいのと同じことだと思う。私が私でなくなって欲しくないと思われることは、嬉しい。どんな私になってもそんなのは私の勝手だって思うけど、それでも嬉しい。
いつからか私が望んでも世界は変わらなくなっていて、それに気がついたのは出先で喉が渇いてしまって、自販機を探していた時だった。望んでも自販機は一向に見つからなくて、いつの間にか私はあの夜汽車を降りていたのだと知った。
「ねえ、のどかわいたのどかわいたのどかわいた」
友人がそう言いながら私の腕を掴んで揺らすので、私はイラついた。私だって、死ぬほど喉が渇いている。そもそも、ここが何もない田舎と知ってこんな場所に連れ出したのも彼女だし、むしろ私の方が文句を言いたい気分なのだ。
「うるさいうるさいうるさい。誰のせいだと思ってんの。置いてくよ」
私が足をはやめると、腕にまとわりつきながら彼女がついてくる。歩きづらいし、鬱陶しくてたまらない。私の一生の友人たちは、絶対にこんなことはしなかった。だけど今はもう、誰一人の顔さえ思い出せない。
「この前振られた元彼にさあ、腕にまとわりつくのほんとウザイって言われたあ。ウケる」
「その元彼は振って正解だね。そろそろ殴るよ」
「えへへぇ」
私はこういうとき、脅しなんかじゃなくて本当に殴るのだけど、彼女は嬉しそうにするから最近はもうやらない。重い腕を引きずりながら歩いて、やっと見つけた自販機で買った水は、人生で一番美味しかった。田舎の夜空はあの夜汽車ほどではないけど、星が綺麗に見えて嬉しかった。こんな時に何故か炭酸飲料を買って、やっぱりそっちがいいと言って私の水を強奪してくるような女とは一生分かり合えないけれど、私は幸せだった。
『夜霧に包まれた永遠』