『涙の海でバカンス』
自分でいるのをやめたい。
どうしてだろうね。
こんなに愛しているのに。
私は可愛くて、賢くて、才能があって、魅力的で、とっても素晴らしい人間なのに、今は少し、私が私であることに疲れてしまった。
自分ではどんな自分も素敵だと思っているし、それで十分だと思うのに、他人からどう見えるかを気にするのがやめられない。気にしても仕方がないとは思うけど、気にする価値がないとはどうしても思えない。他人からどう見えてもいいのなら、身だしなみを整えたり、優しくあろうとしたり、素敵な人間であろうとする行為のほとんどが無意味だ。
他人と関わることの恐ろしさは、失敗をずっと忘れられないことだ。一人の時の失敗は笑って済ませられても、他人の前で失敗した記憶はどうやっても消せそうにない。当の本人はとっくに忘れているとしても、私の中では残り続けて、消えてくれない。
付き合いが長くなればなるほど、それが蓄積してゆくのだ。私の大好きな人達は、私の醜さを知っている。それでも私を好きでいてくれる?そういうところも可愛いと言ってくれる?
私がその人のことをどうしようもなく好きになってしまってから、私の醜さのせいで嫌われてしまったらどうしようもなくつらい。あるいは内心で、私の醜さを嘲りながら接されるのはもっとつらい。
それどころか、もう既にどうしようもなく好きになってしまった人がたくさんいるのだ。その誰もが、私の醜さを知っている。知られたくないと思う人ほどきっとたくさん知っている。どうでもいい人になら、どれだけだって知られても構わないのに。
人が私に与えるものが私をもっと素敵にすると信じているし、私が与えるもので人を素敵にしたいから、辛いことは分かっていても人と関わることをやめないでいようと決めたのに、今は少し揺らいでいる。
ずっとじゃなくても、しばらくは深海に潜り込んでいたい気分だ。
誰も私を見ないで、
私のことなどもう忘れて。
いやだ、私のことを忘れないで、
私のことを好きでいて。
相反する気持ちが溢れて、どこにも動けないでいる。
浮き輪のように軽やかに、
ぷかぷかと浮いて楽しく生きていたいのに、
私の心は水底でひとり、
固い殻に閉じこもる貝のようだ。
私が積み重ねてきたもののおかげで今こんなにも幸せなのに、同時に私が積み重ねてきたものに、ずっと首を絞められ続けている。
完璧な人間なんていないのは知っているけど、私ほど不器用で、浅はかで、意地汚い人間を私は見たことがないのだもの。きっとみんな隠すのが上手で、私だけがひとり舞台にあげられて、見世物にされている気分だ。
だけど今の私は、その舞台に自分からしがみついているようなもの。舞台を降りれば楽になることを知っているのに、ずっと降りられないでいた。なぜなら私は変わりたかったから。強くなりたかった。舞台の上で輝き続けていられる人間になりたかった。誰に嗤われてもいいから、自分と大事な人たちにだけは誇れる自分でいたかった。
だけど今からは、少しおやすみ。
涙の海へ、束の間のバカンスを。
どうせ誰も見ていないのだから、
私が私であることに、
そんなに責任を持とうとしなくていいの。
昨日と言ってることが違っても、
別に言い訳なんてしなくていいの。
いつも強い自分でいられなくても、
自分のことを弱いなんて思わなくていいの。
誰にも愛されなくたって、
あなたは素敵だよ。
誰にも認められなくたって、
あなたの作るものは素晴らしいよ。
孤独は冷たく重たいけど、
それが作るための力をくれることを
あなたは知っているでしょう。
さよならは恐ろしいけど、
それもいつか美しいなにかになることを
あなたは知っているでしょう。
そう、あなたのその手で作るの。
悲しみも、苦しみも、
恥も、恐れも、
何もかもあなたの手で
美しいものに作り上げてみせるの。
こんなに簡単なこともこうやって、
丁寧に語りかけてあげないと分からない、
面倒くさいあなたのことを愛してるよ。
あたたかい砂浜の上にのんびり寝転んで、
翡翠色の浅瀬にゆらゆらと浮かんで、
自分が誰なのかも今はすっかりと忘れて。
ここでならどれだけ泣いたって、
海が少しだけ、増えるだけ。
『涙の海でバカンス』