加藤さんのおすすめの本『ゲンロン戦記』。【今週の加藤さんvol.12】
「今週の加藤さん」
「今週の加藤さん」は“最近何か気になってる話題とかありますか?”というとてつもなくラフなお題を、花咲爺さんズ代表の加藤さんに聞いてみるコーナー。聞き手は弊社シオヤ。
今回は、加藤さんからシオヤに読んでみてほしい本があるというお話です。
加藤さん:
これ、読んでみてほしいんだよね。
シオヤ:
『ゲンロン戦記』?
加藤さん:
作者が東浩紀っていう現代思想界では有名な哲学者で、フランスのジャック・デリダの分析をした哲学書を出してたりする人。この人の『存在論的、郵便的』っていう本があって、僕が大学時代に買ってすごい読んでた。
シオヤ:
ほんとだ、すごく年季入った本ですね!
1998年発売の『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』。
発売当時のシオヤはまだ赤ちゃんです👶
加藤さん:
シオヤさん、パーマンってわかる?
シオヤ:
パーマンって、藤子・F・不二雄のですか?
加藤さん:
そう。パーマンの世界に、鼻をピッて押すと押した人と同じ人間ができる「コピーロボット」っていうのが出てくるんだけど。パーマンは正体を知られてはいけないから、パーマンに変身している間はコピーロボットに代わりになってもらう、っていう設定になってる。
じゃあ、そのコピーができると、その人は「唯一無二の存在ではない」ということになるのか?そのコピーが、もしその人を構成する元素とか、記憶とか脳の構造とかも同じように作られてたとしたら、唯一性ってどうなってしまうんだろう?っていうことを考える「存在論」っていう分野があるわけですよ。
こちらがコピーロボット。
見たことあるような気がします。
シオヤ:
おー、確かに、言われてみればどうなんでしょう…?
加藤さん:
それを、哲学者のデリダが考える中で「郵便的に考える」っていうことで解決しようとしているんだよね。郵便って、ポストの中に入れると届けたい人に届くわけだけど、それは信頼があるから成り立ってるシステムだよね。ただ、時々間違って配達されたり、時には配達員が郵便物を捨てちゃったりということもある。
人間の言葉も、郵便みたいに「誤配」されることがある。例えば、「大丈夫です」っていうのが、受け入れてるのか断ってるのかわからないときがある、みたいな。
じゃあ、人間の存在だって、確実に決まりきったものではなくて、変わったり、間違ったりすものなんじゃないか?人間像というものを、存在論的なものから郵便的なものに変えた方がいいんじゃないか?っていうことを提唱したのがデリダなんだ。すごくざっくり言うと。
で、そのデリダの思想を解釈をして本を出しているのが、『ゲンロン戦記』を書いた東浩紀。
シオヤ:
なるほど、そういうことですか。
加藤さん:
で、その超優秀で超有名な哲学者の東浩紀が「ゲンロン」っていう会社を立ち上げたんだけど、失敗だらけでしたっていうのを赤裸々に語ってるのがこの本なわけですね。
シオヤ:
失敗だらけなんですか。
加藤さん:
失敗談ではあるんだけど、自身の哲学の実践としてどういう「誤配」が起こったのかっていう分析をしている。でも、その誤配が起こること自体は悪いことではないから、仕事に落とし込むとどうなるのかがわかるなと思って、そこが面白い。
シオヤ:
仕事を、マーケティングとかではなくあくまで「哲学の視点」で見る、みたいな感じですかね。
加藤さん:
そんな感じ。で、シオヤさんに読んでほしいなと思ったのは、なんでだっけな…。
一つは、「観光」について書かれているところ。「観光客的」な地域へのかかわり方って肯定されるべきものなんだっていうようなことが書かれてるんだよね。その領域をどう作っていくかというのを哲学的に考えている。例えば、登壇者が出てきて話を聞くようなイベントをやるにしても、そこへの参加者は見ているだけの人になるのではなく、もう一歩踏み入った参加の仕方を考えたい、みたいなね。
あと、地域のコミュニティをつくったり、運営したりするような人の視点で見ても参考になるかもと思った。今の時代は「ファン」か「アンチ」の二極化してしまう状況になりがちだけど、その間の領域があってもいいし、その間の立場で考えているっていう層が必要。そういう領域を確保していきたい、っていう話かな。
シオヤ:
へえ。
加藤さん:
東浩紀を知ってるから面白いところはあるかもしれないけど、知らなくても十分面白く読めると思うよ。
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