私の悪いところ
私は、基本的に自分がされて嫌なことは他人にはしたくない。
たとえそれが相手にとって興味のないことであっても私はしない。
もちろん、相手が嫌なことも気づけたらしない。
気づけないこともあるが、やめて欲しいと言われたら尚更しない。
相手が嫌じゃないならしてもいいじゃないかと言われるが、そこは自分ルール的にやりたくないとおもってしまう。
他人を責める時、嫌な気持ちになる時、自分が同じことをしているとその気持ちが自分に返ってくるのである。
自分自身に対して嫌悪を抱いてしまう。
結局これも他者への思いやりではなく、自分が自分に嫌悪感をいだきたくないから相手にもしないという自分勝手な考えということだ。
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自分の悪い部分は自分が一番よく分かっている。
世間知らずなところ、注意散漫なところ、少し観点が他者とずれているところ。
能力としても足りない部分はある。
知識や経験、社会についてもまだ何も分からない。
動くまでが遅いし、言い訳ばかり考えてしまう。
そんな自分は分かっている。
それを他者に言われた時感情が先行してしまうことがある。
自己正当化を良くしてしまうのである。
内心や思考では分かっているがその場で防衛してしまうのが悪い癖なのである。
そこに先に述べたことがさらに付与されてこれが起きてしまう。
あなたはちゃんと出来てるの?
そういう思いが先行してしまうことが一番私の良くない部分。
完璧な人に言われるならまだしもあなたも出来ていないじゃない。
そう思ってしまうと素直に聞けなくなってしまう。
つまり、離れた人じゃなく近しい人にこれを思ってしまうということなのだ。
悪い部分いい部分両方知っているからこそ相手ができていないところを思い返し、素直に聞けなくなる。
あなたが人のことを言えるの?
これがあたしの思考の根底にあるからこうなってしまうのである。
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基本的に私は他者を責めない。
私と相手が別のものであり、相手が出来ないのであればあなたの価値観ならそうだよねで終わってしまうからだ。
そこに苛立ちを覚えたとしても直接相手にはほぼ言わないのである。
私の考えと相手の考えは別のものであり、本人の考えで動くべきと思うからだ。
ここがかなり優しくない部分でもあると思う。
相手が良くなるためのアドバイスを求められたらそれを答えるのだが、それがないのであれば基本的に興味が無いのである。
そこの自分の価値観で見てしまうから相手から言われてしまうと、自分が防衛に入ってしまうという悪循環が起こってしまう。
いわゆる子どもだということだ。
他者との価値観、視野とか色々思ったとしても結局感情で動いてしまう。
ここのコントロールがまだ自分にはできていない。
社会人になり、大人になり、自分が周りからどう見えるか、どう見せたいかをちゃんと考えなければならない場面で、
私のこの考え方は致命的なのである。
自分はそう思わない。
相手はそう思う。
このふたつは別々であればいいということは集団社会では成立しないのだ。
多数派に合わせ、自分を律していかなければならない。
当たり前のことだが、まだ自分には完璧に身につけていない。
どんな場面でも自分が動けるのであれば相手に合わせなければならない。
それが社会で生きるということになるから。
まだまだ甘い自分に嫌気をさすが、ちゃんと考えて動きたい。