同じ100日間を過ごしてみて考えたこと。
お久しぶりです。
少しだけ間が開きましたが毎日noteはやめずに続けようと思ってます。
さて、昨日ワニくんが亡くなりました。
ワニくんの一日目が12/14
私の毎日noteの初日が12/12
ほとんどワニくんと同じ時間昨日まで毎日noteを通じて過ごしてきたということです。
100日と言うとほぼ3ヶ月。
その間noteを書き続けるのはかなり大変でした。
ただ、振り返ってみると思ったより早く時間はすぎたので、100日間がどれだけ短いか身に染みて感じています。
ワニくんは予期せぬ事故で自分の人生を失いました。
それも他者の命を救うことによって。
(ここら辺の解釈は人によって変わると思います。)
私は死というものは常に隣り合わせだと思っています。
普通に歩いていても車が突っ込んでくるかもしれない。
ふとした喧嘩で誰かから刺されるかもしれない。
変なストーカーに付きまとわれて襲われるかもしれない。
突然大病にかかって余命宣告されるかもしれない。
本当に予期して自分の死を迎えることが出来る人はほとんど居ないと思います。
100日間過ごしたワニくんはその時にやりたいこと、好きな人と付き合えたり、見たかった映画を見れたり、雲布団を貰えたりと、欲しかったものを全部手に入れた上で幸せなみんなとの時間に向かう前に亡くなりました。
そして、ひよこを助けることが出来たということできっと”後悔”はなかったんだと思っています。
ワニくんの亡くなるまでの日々は大吉で、突然の死でもワニくん自身は辛くないように感じました。
ただ、私が常に思うのは残された方の気持ちはどうなるのだろうと。
人の死は強烈なインパクトを残します。
良くも悪くも一生の記憶となってしまいます。
そう考えた時に自分が死ぬまでにやりたいことだったりの後悔はもちろん、残された人達の後悔もないようにしないといけない。
私はそう思いました。
当たり前が変わった瞬間、人はバランスを崩します。
隣にいる人が明日もいるかわからない。
この日々がいつまでも続くかわからない。
そして、自分が周りの人に与えている影響は思っているよりも大きいものだと。
明日誰かが居なくなるかもしれない、自分が亡くなるかもしれない。
そんなふうに思って生きていくのは少ししんどいと思います。
それでも、一瞬一瞬何が起こっても後悔しない。
そんな気持ちで生きていくことが大切だと思いました。
私はワニくんにもネズミくんにもまだなりたくない。
日々を大切な人と大切に過ごしたいと思います。