タロットカードの「スーフィーの物語」からの価値に対する気づき。
「タロットカードって怖い」
ずっとそう思っていました。だってイラストが怖いんだもん。
片隅の町で小さな小さな雑貨販売&喫茶店をしております店主のpekoriです、こんにちわ。2019年になり「わたしが店をはじめたわけ」を書いております。
「タロットカードは呪いがかかっているから怖いんだよ、だからやらない」
今思うとバカバカしいけど、ずっとそう思っていた。
でも、たくさん人に会うたびに、なぜかタロットカードが近づいてくる。
占いもセラピーも、「壺売られたらどうしよう?!」、とか思ってたけど、タロットカードをやる時がついにやってきた!
やることになっちゃったのよね。
その方がやるのは、普通のやつじゃなく全然違うタロット。
普通がなにかわからないが、怖いイラストのカードとかはないやつ。
OSHO禅タロットというものの一種で、日本昔話のようなスーフィーの物語のおとぎ話が書いてあるカードで、そこから学ぶようなタイプのタロットでした。
スーフィーの物語は、イスラムの神秘主義哲学の教えなんですが、理解不能もあるけど、わかりやすいものもあります。
だからあまり怖くない。
なんだかんだやらない理由を言い訳していたから、「このさい思い切って店をやることに対して聞いてみよう」
そう思ったのです。
そして、出たカードのその中の一枚に、「価値」という木のイラストのカードがありました。
「価値」
老子が弟子とともに旅をしていた。
彼らは、何百人もの樵(きこり)たちが木を切っている森にやってきた。
森全体が、無数の枝をつけた一本の大木を残して、ほとんど切り倒されていた。
その木は一万人が木陰に坐れるほど大きかった。
老子は弟子たちに、なぜその木は切られていないのかをたずねてくるように言った。
彼らは樵のところに行ってたずねた。
すると、彼らは言った。
「この木はまるで役に立たない。枝という枝に節が多すぎて、これからはなにも作れない――まっすぐな枝がひとつもないのだ。燃料に使うこともできない。煙が目の毒だからね。この木はまったくの役立たずだ。だから切らなかった」
弟子たちは戻って老子に伝えた。
彼は笑って言った。
「この木のようになるがいい。もしお前たちが役に立つようなら、切られてしまい、誰かの家の家具になってしまうだろう。
もしお前たちが美しかったら、市場で売られてしまうだろう、商品になってしまうだろう。
この木のようになるがいい。まったくの役立たずに……。
そうなったらお前たちは大きく、広大に成長して、何千人もの人びとがお前たちの下に陰を見いだすだろう」
(その人がどのように有益かということで私たちは人びとを計る。
だが私は、私たちはなにも役に立つことをしないと言っているのではない……
役に立つことをするがいい。
だが、覚えておくことだ。生とエクスタシーの偉大な体験は役に立たないことをすることから生じる。
それは詩を通して、絵を描くことを通して、愛を通して、瞑想を通してやってくる。
商品におとしめることのできないなにかをする能力があって初めて、最も偉大な喜びがあなたを押し流す。
報酬は内側にある。もともと備わっている。それは行いから湧き起こる……。
だから、自分は役立たずだと感じても心配することはない。私はあなたの役立たずをも使う。私はあなたを大きな葉むれのある巨木にするつもりだ。
それに、役に立つ活動にたずさわっている人びと、彼らはときとして木陰で休む必要がある。)
なぜか涙がこぼれました。
自分を重ねたのかもしれない。自分の価値はなんだろう?いや、価値のないものは、この世にあるわけがないのだ。
わたしは、こんな木になりたいのだ。
何にも出来ないし、何にもなれないけれど、こんなふうに休む場所は作れるかもしれない。
わたしが作りたいのは、人の集まる場所は、きっとこれなのだ。
一歩進むこと、勇気を出すということは、「価値」を見つけることかもしれないな。
あんなにタロットが怖かったのにね。
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