見出し画像

11年間つづけるということ アニメ聖地としての11年「あの夏で待ってる」

最初に一言 
本当にありがとうございました。
僕の人生を大きく変えてくれたできごとでした。走馬灯で思い出すんだろうなー。



2023年8月5日は私の人生の節目となりました。


「当時のブログから」2013年のブログ
2011年12月にyoutubeで「小諸市がでてるアニメがある」という情報をききました。
「これ、見たことある道だなー、あれ乙女駅??これ我が母校じゃないかい??」
いやー目を疑いまいたよ。。。自分の住んでいる町、見慣れた景色がアニメの中にありました。

もともと、少年ジャンプ系のアニメはよく見ていました。「北斗の拳」「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」などなど。。
しかし、いわゆる深夜帯に放送されているアニメにはあまり関心がなかったです。(深夜帯できちんとみてたのは「墓場鬼太郎」くらいでしょうか)
そんな、普段なら興味を示さないアニメだったんでしょうが、やはり自分の生まれ故郷となると話は別、何度も見返してしまいました。

「このアニメ背景がすげー綺麗だな。いい町じゃん小諸!」
一番にでてきた感想がこんな感じです。

早速インターネットで検索開始。すでに小諸と特定している方が何人かおられる。
「これはアニメファンが小諸にくるだろうな」と思いました。

「これで小諸も町おこしができるぜ!」
と、いう感情は微塵もおこらず、
「これ、小諸市にファンが来て各方面に対応できるのだろうか。。。せっかく小諸にきたファンの方達に嫌われはしないだろうか。。。」
という、非常にネガティブな感情が湧いてきて、恐怖心すら覚えました。
またしてもネットで検索開始、検索キーワードは「聖地 失敗」
沢山でてきました。顔が青ざめたのを覚えています。

観光も重要な産業の一つになっている小諸市としては決して見過ごせない問題だろうなと感じました。
「何か手を打たなくては。。」

直ぐに市役所の方や、観光協会、商工会議所の方々に有志を集めていただき「なつまちおもてなしプロジェクト」をスタートさせました。
まだ何をするのかわからない状況でしたのでとりあえず隠密行動をとらさせていただきました。
ちなみにこの「おもてなしプロジェクト」という名前は、きちんとお客様におもてなしができるようにという理由と、かっこつけた名前よりも田舎らしいドストレートなネーミングにしよう!と、いうことで「なつまちおもてなしプロジェクト」という名前になりました。正直「かっこ悪い名前だなー」とお思いの方も何人かいらっしゃたんじゃないでしょうか。

最初の方向性として、今後ファンの方達と対応できるようにと「住民や商店街にどうやって周知させるか」ということと、「訪れたファンの方と住民のトラブルの回避」の2点に絞り活動開始。
そうこうしているうちに1月の放送が開始され雪の降る寒い小諸市にファンの方たちが訪れはじめました。

ここで、わかったこと、偏見というのはこわいですね。。みなさん「マナーの良い」お客様でした。
やっぱり実際に交流しないとわからないものですね。普通のお客様でした。
おかしなことをする方も中にはいると思います。でもそれは結局、どこにでもあることで、普通に接すればよいということがわかりました。
お蔭さまで、小諸市の商店街の方達をみてると、アニメに限らず一般的に「オタク」といわれる方達への偏見がなくなったように感じます。

ただ、1点、要望、今後の何をするのか。何をすべきか、このお話がすごいことすごいこと、お蔭でファンの方たちがお話にくる、小諸市観光交流館のおばちゃんたちはどんどん「なつまち」の知識を吸収していきました。
ただ、何もできずに、てんてこまいです。

ここで一つ何かをするために、サービス業のお店にはお客様の意見を聞いて改善やより良いサービスにつなげる手法があります。「アンケート」です。
これだけ意見を言ってくれるファンの方がいるんだったら直接アンケートを実施したら良いのではないかと考えました。

そこで、なつまちファンとの意見交換会を実施させていただきました。
当初の予想では40人位の方がきてくれればうれしいなー、なんて考えていました。当日、焦りました、蓋を開けてみれば150人強のの参加者がありました。会場まできてはいれなかった方もいたようで、実際には200名位ほどきていただいていたようです。
当日は100名位はいれるスペースの確保をしていたので急きょ、座布団を前に詰め皆様の協力のもと人が入れるスペースを確保しました。

会場は懐古園にある「さわやかふれあい館」を使用しました。とっても田舎の寄合チックな雰囲気。お蔭でほんわかした雰囲気で話し合いができたと思います。
この会場に今後の「なつまちおもてなしプロジェクト」の活動を左右していく方も何名かいらしてました。

この意見交換会もそうですが大変ゆるい感じでやらさせていただきました。考えたのは「ゆるく活動する」ということです。
力いっぱいやると意外に続かないものですし、使命感だけで活動しても疲れて嫌になってしまうこともあります。
どうせやるなら、楽しんでやった方が良いと思いました。力いれすぎると来てる方も気楽に色々できないなとも考えました。
お蔭で、現在の小諸市のなつまち関係はゆるーい感じで活動させてもらっています。
一生懸命ゆるい活動をさせていただいております。

さて意見交換会が開催され今までにやってきた活動の基礎がここでなんとなーくできたわけですが、この頃になると「なつまち」に関係したことをするお店もちらほら、町の中にも浸透しだしてきました。

4月に小諸市の「あの夏で待ってる」ポスターができました。
市内はもちろん何処か首都圏でポスター貼れるところはないかな?というわけで、首都圏で小諸といえば「小諸そば」
というわけで、秋葉原にある小諸そばさんにポスターを貼っていただきました。
ちなみに「小諸そば」さんは小諸にゆかりがあるわけではありません。。が、小諸市の観光PRのチラシを置いてくれたり、小諸そば振興会に加盟していただいたり、何かとご協力いただいている小諸にとって大変ありがたい企業さんなのであります。

5月はプロジェクトにとって最初の大きいイベント「なつまちポスター」の販売がありました。
5月5日にポスターの先行販売がありました。はたして何名くらいきてくれるのか。うまくできるのか。この日はなつまち宣伝担当のおーたさんも小諸に駆けつけて、色々アドバイスしていただきました。ちなみに販売日前日は一緒に小諸の舞台探訪をしました。

さて販売10分前。予想は50人位並ぶかなーと思っていたところ、180名以上の方が並び結局列には200名以上の方が並ばれていました。
お祭りかと思い、何もわからないおばちゃんまで列に並ぶという盛況ぶり!お昼前には予定数完売。
この出来事がきっかけとなり、商店街の方たちに「なつまち」の火がともりました!

5月中にはポストカードも販売され、盛り上がってきたところになつまち製作委員会からお知らせがきました。
その知らせとは、8月になつまちのイベントを小諸市でできないかというものでした。
まさかのご提案に驚いてしまいました。
内容をきいて驚き500倍!オールキャスト出演+Rayさんも参加ということで、これは凄いイベントだ!と思いました。
この頃にはすっかり、なつまち関係の声優さんにも詳しくなり、凄さもわかってきておりました。

候補に上がったのが「小諸市民会館」と「小諸文化センター」
チーフプロデューサーの大澤さんはじめ、何人かの製作委員会の方も下見にこられていました。
しかし、小諸市民会館には空調設備がないし、キャパは最大で900名程度。。。文化センターは空調設備は整っていますがどんなにがんばってもキャパ800名。はたしてこの人数で採算はあうのでしょうか。疑問が残りました。

なつまち製作委員会が協議の結果、「小諸市民会館」での開催が決定しました。
人数が多いほうが採算もあわせられる。と、いう考えは微塵もおもちでなかったです。
チーフプロデューサーの大澤さんに「市民会館で大丈夫なんですか?」とお尋ねしたところかっこいい台詞がかえってきました。
「小諸市に(なつまち関係で)色々やってもらっているので、何かお返しがしたいです。ドカンショ当日にイベントを行えばお祭りももりあがるでしょうし、採算あわすのは正直難しいところですが、小諸で是非イベントを開催したい。」
と、こんな感じのことをおっしゃていただけました。
「小諸を盛り上げる」

実はこのフレーズ、意見交換会の時にファンの方達からもでてきた言葉でした。
たまたま、アニメの製作委員会の目にとまり、たまたまアニメで放送された町「小諸市」のことをこんなに思ってくれている方達が、全国にいる。
はっきりいって感動しました。そして、がんばらねばとも思いました。

2012年8月4日私はこの日の興奮と、感動と、疲労感を一生忘れることはないと思います。
朝からはイベント関係のお手伝い、夜はドカンショさらに8月から薬師館を開業したばかり、めまぐるしい夏のあの日
私の「あの夏」はそこにありました。
夜のドカンショの参加人数は30名程度でしたが、終了する頃には70名ほどの連になってました。
本当に皆さん小諸の町をもりあげてくれました。

7月からは商工会議所青年部企画の「なつまちカードラリー」が開始!
数々のアニメにでてきたメニューが再現されました。

その後もおもてなしサロンの文化祭や、ふーどまつりのスタンプラリー、そして11月の意見交換会の開催。

あの夏で待ってる開始から1年がたちました。
さて、2年目です。ファンの方達にも口を酸っぱく言われた2年目です。
実際、放送が終わってから時間がたっても小諸に来る方も大勢いらっしゃいました。

2年目に私が担当した大きな仕事は「小諸市の描き下ろしポスターを作る」ということです。
前回のポスターは田中将賀さんの絵でしたので、今回はデザイン原案の羽音たらくさんにご依頼させていただきました。
まず、どういうポスターが良いのか?ちょうど今年は北国街道が開いて400周年ということで、北国街道をつかったポスターにと決まりました。
せっかくなので、小諸轟屋の人力車で女の子を男の子が引っ張るという構図にしました。本当は柑菜ちゃんに人力車をひいてもらいたいなーという構想もありましたが没。(ちなみに乗るのは美桜と哲郎。)
一番悩んだのは組み合わせです。どの組み合わせがファンの方たちにとって良いのだろうか??結果、哲郎に柑菜と美桜(意味ありげです)、海人に檸檬先輩とイチカ、お約束のりのんは大正風でときまりました。檸檬先輩には大正風の髭もつけようかなと考えていましたが、わかりづらくなるので没となりました。
キャラクターのサイズについても悩みました。通常アニメのポスターだとキャラクターが大きく描かれます。
しかし、今回は実寸大。小諸市にいる海人くんたちをリアルに描きたかったのでこのサイズになりました。

そんなわけで、2013年もなつまちおもてなしプロジェクトの活動がはじまりました。
そんなある日私の携帯に一本の電話がなりました。
「NHK長野放送局の松岡ですけれでも、少しお時間よろしいでしょうか」
ご存じ、バーナビー・ブルックスjrのコスプレでおなじみの松岡アナウンサーからの電話でした。
今回なつまちおもてなしプロジェクトについて取材をしたいということでした。
まさか、クローズアップされる番組では。。。。
ちがったようです。

松岡忠幸アナウンサーはNHKの長野放送局に勤務しています。第1回目の意見交換会から小諸にきていただいておりました。
松岡アナウンサーが長野にいたのもこれだけファンの方達にきていただけるようになったことの一つだと思います。
本当に小諸のために色々ご尽力いただきました。
そんなこんなで今年の夏はNHKの取材ではじまるのでした。
今回の取材で、「なつまちおもてなしプロジェクト」というものをもう一度見直すいいきっかけになりました。
NHKの放送時に「リピーター」のお話をさせていただきました。
観光に携わる者として書かせていただきますが、お客様を新規で獲得するのが非常に困難な時代です。
リピーターの確保がとても重要になってきています。今回のなつまちは新規顧客の獲得のきっかけにすぎませんでした。
リピーターになっていただけるかどうかは、来ていただいたお客様に喜んでいただき、「また来たいな」と思っていただけるように努力することです。
NHKの放送でもあった通り、商店街の方達も一生懸命「なつまち」をみて勉強して、何をすれば喜んでいただけるのかを考えて、おもてなしをしていただいていと思います。その結果、2年目の今年もカードラリー、おみこし、ドカンショにたくさんのファンの方が小諸に来て下さっています。

アニメを使ったコンテンツツーリズムと言われておりますが、結局サービスの基本的なことを遂行することがなつまちファンから小諸ファンの獲得につながるのだと感じました。
今回は「アニメ」「なつまち」今までにない特殊なこと、と言われていますが、どのような形態であれ「王道」のサービスの基本を行うという重要さを改めて実感させられました。
そういった意味では「なつまちおもてなしプロジェクト」という名前はとてもかっこ良い名前だなと感じるようになりました。

私は旅館の経営者として本当に「なつまち」から本当に多くのことを勉強させていただくことができました。
小諸に寒い冬、暑い夏、遠くから小諸に訪れてくださったファンの方々、何もわからないまま一生懸命なつまちファンの方々に接客してくださった観光交流館の方々、なつまちおもてなしプロジェクトのことで色々ご意見をくださり温かい目で見守ってくださった小諸の先輩の皆様、市民有志で集まってなつまちおもてなしサロンの運営に携わってくださった皆様、小諸に何度も足を運び「あの夏で待ってる」という素晴らしい作品を作ってくださったなつまち製作委員会の皆様、私の突拍子もない発言で色々御面倒をおかけした観光協会のスタッフの皆様と市役所観光課の皆様、なつまちおもてなしプロジェクトの皆様、本当にありがとうぎざいます。
ここにはまだまだ書ききれない人たちもいますが、多くの人たちによって小諸が盛り上がりました。
これからも「なつまち」という作品は小諸に生き続けると思います。

そして、現代に戻る
自分でもすごい熱量だなと感じてます。
この後まさか10年以上本当に続けるとは思いませんでした。

10年の間にノウハウと人脈が増えたおかげで新たなコンテンツとのコラボもたくさんやらせてもらいました。
アニメの聖地巡礼の知識をフル活用して、Vチューバーとのコラボ楽曲で現実世界を舞台にすることでたくさんのファンがきてくださる仕組みも1からやらせてもらい、100万再生以上の動画ができました。
時にはキャラクターコラボした作品のグッズがツイッターのトレンド1位になったりもしました。
元は、「あの夏で待ってる」という作品に関われたことが全てです。

あの夏で待ってるについては、毎年新しいイラストを描きおろししてもらいました。
そのお陰もあって、キャラクター達の新しい表情や成長を見てもらうことができました。キャラクターが自立してくれたおかげで10年以上たった今でも小諸に訪れてくれるファンがまだまだいらっしゃいます。

新型コロナが蔓延しはじめ、観光は不要不急の烙印をおされた2020年、真剣にやめるべき時を考え始めました。
ファンが来られないからはさほど問題に感じてはいません、
観光業のみならず、広告関係やメディアの方などもやめざるをえない状況に追い込まれるものを目の当りにしました。

この世の中、どうしようもなく、突然やめざるを得ないこともある。

「キャラクターコンテンツだって同じ状況になるかもしれない。」
そう思ったとき、みんなの思い出の中に残すにはどうすることが一番良いのか考え始めました。

10年目のイラストを依頼しました。
「10年後のキャラクーたちの姿をみたいです。」と。
10年後の姿を記録するということは、時計の針を進めることになります。
見たいけど、見たくない姿。自分たちも時の流れを実感する。
いつまでも同じでいられないのならば、みんなで最高の思い出を共有していこうと。
おかげさまで、ものすごい反響もいただき10周年では沢山の皆さんがまた小諸におとずれてくださいました。
ただ、皆でつくりあげたこもろの夏祭りに参加している「なつまち連」で踊ることはできませんでした。

小諸ドカンショに参加してみんなで踊ることが絶対に必要だと感じていたので、これだけはなんとかしようと思い。11年目に取り掛かりました。

そして、2023年8月5日に最後の「こもろドカンショなつまち連」がはじまりました。

「人が死んだら、天国へ行けるという。でも僕はそうとは思わない。死んだ人間は、きっと…誰かの心へ旅立つのだ。思い出となって生き続けるのだ。けれど、それもやがては消えていく。だから人は、何かを遺したいと思うのだ。忘れてしまわないように…忘れないように。」
あの夏で待ってるの最終回のセリフより。

おそらく、この11年間の思い出も皆の心の中で生き続けるのだと思います。アニメ作品のキャラクター達も皆の思い出の中で生き続けていくことでしょう。
11年で小諸に、あの夏で待ってるの世界線への扉はいい感じでできたと思います。
11年という年月かけて作られたものなので扉が閉じることはないと思いおます。

11年間続けるということは人の生き方に影響を与えるものなのだなということが良くわかりました。

私の心の中にもあの夏で待ってるのファンの皆様と過ごした思い出が生き続けていきます。

夏が来るたび、「あの夏」のことを思い出し続けていくと思います。


あの夏で待ってるの世界を作ってくださったクリエイターの皆様、アニメに携わった皆様、キャストの皆様
小諸に来てくださったファンの皆様
ファンの皆様を温かく迎え入れてくださった小諸市民の皆様
関係各所団体の皆様

本当にありがとうございました。



こもろドカンショなつまち連

また、小諸で、
あの夏で待ってる












2032年にお会いしましょう!!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集