狂四郎2030に学ぶ、愛とか幸せとか退屈とか| #まずモテ 29号
今週の #まずモテ は、狂四郎2030という漫画から得られる、モテ教訓について。
この漫画の時代設定は、タイトル通りに「西暦2030年」。
第3次世界対戦が終わって、5年後の日本。
日本国内では、ヒトラーも真っ青な完全独裁政治が行われており。
そこには様々な差別、人権侵害、搾取があふれていた…
そんな中で、2030年の人々の心を救っているのは?
それは、バーチャマシンを接続しログインすることの出来る「仮想空間」。
そこでの「もうひとつの暮らし」を心の支えに、人々は力強く、荒んだ世の中を生き抜く────
(1997年に書かれた漫画なのに、なんとも「メタバース」を予見しているようで、かなりすごい!)
たまたま見つけたこの漫画だが、久しぶりに個人的ヒットをかました。
読む指が止まらなかった。
ごんごんKindleで課金しまくって、一気に読んでしまった。
この漫画では、荒んだ世の中において、決して荒むことのない「愛」が大きなテーマになっている。
そう、僕たちナンパ師が失ってしまった、その「愛」。
愛やセックスについて、執念的なほどに、あらゆる角度からの描写がある。
具体的に言えば、めちゃめちゃ、セックスシーンが多い。笑
各話、ほぼ必ずある。
しかも内容も結構ハードで、ヒロインも思いっきり、やられてしまったりする。
絵柄的に「抜ける」かというと、そういうものでもないのだけれど、知的興奮ならすごいする。
さて、今日お話したいことは、
「愛とか幸せとか退屈とか」
ということ。
以下に引用するのは、この漫画の中盤、独裁国家側の登場人物によって、発言されたものだ。
「人が幸福になるためには何が必要かわかるかい?」
「平和だ」
「そう、それが大前提だけど、それだけじゃ人間は幸福を感じないやっかいな生き物だ。人に幸福をもたらすもの。それは、過度にならない程度に自己の能力を発揮することだ」
このあと、知能的には弱く読み書きもできないが、力が強く、一日中切り株を引っこ抜く仕事をしている男が紹介される。
彼は、本当に満足感にみちているような表情をしている。
続くページでは、こう来た。
「めんどうなことに、何もかも満ち足りると人は、不幸を感じ始める。」
「まさか」
「本当さ。平和で幸福な日々の暮らしっていうのは、なんの変化もない。なんの興奮もない。不幸の始まりはなんだと思う?退屈だよ。」
そして、この荒んだ世の中において、唯一の理想郷と思われていたこの島の中においても、退屈が原因で起きる不幸が紹介される。
(この島をコントロールする独裁国家側の人物は、島民を退屈させないために、わざと敵を作って、あえて不定期に島を襲わせるように悲劇をデザインしている。)
これらの引用だけでもわかるように、このマンガは、僕らが「マンガ」と言った時にイメージする「学べること」のレベルを、はるかに超えてくる。
「友情、勝利、勇気を学ぶんだ!」というレベルではない。
もっと大切なことを学べる。
きっと作者の中には、どうしても伝えたい深いメッセージ性があって。
それがたまたま漫画という形で表現されただけ、というふうに感じる。
難しいことなんか考えず、ただ単に読み物として楽しむのもいいのだけれど、せっかくの素晴らしい漫画なので、愛と幸せと退屈について、考察を重ねる。
1)幸せというもの
引用文中で紹介したように、「平和」だけが幸せというわけではない。
確かに平和は大前提。
しかし、平和だけで幸せなのだとしたら・・・
この現代日本社会で、年間何万人もの「自分で人生を終わらせてしまう人」が現れることと、つじつまが合わない。
現代日本は、むっちゃ平和だが、「1億総幸せ」社会ではまったくない。
漫画本文で語られることはなかったが、これは、その他の要素でも同じことが言える。
「健康」とか。
「難関資格を持っている」とか。
「優良企業に勤めている」とか。
「身長が高い」とか。
「株を当ててFIREしている」とか。
いろいろな「イイなぁ〜」ってことはあるけれど、それ=幸せとは限らない。
それ=幸せということを信じすぎて、頑張りすぎてしまった時に、人はどうなるか?
どうなるかって、『それ』の達成後、「実はあまり幸せになってないこと」に不満足を感じてしまうようだ。
だからこそ、「FIREしたせいで不幸」みたいな人もいるし。
幸せを感じる脳がバカになってしまって、「一流芸能人が薬物で逮捕」なんてものも、聞こえてくるのだ。
「""それ""をGETすればぜったいに幸せになれる」と信じて頑張りすぎても、幸せになれるとは限らない。
というか、ほとんどのケース、期待値とのギャップに苦しむ。
苦しむくらいならがんばらないほうが良かった、とすら思ってしまうこともある。
大学受験のために猛勉強したあと、思っていたほどの大学生活を送ることのできなかった自分自身、そのようなことを感じた経験がある。
これは、ナンパ界隈でも見られることだ。
300、400とゲットを重ねていくナンパ師が、どんどんと脳みそがおかしくなっていってしまうのも、同じ現象。
もう12年もナンパをしてきた僕だから、何度も歴史を見てきたのでわかるのだけれど、そろそろまた、タイ-ホ案件が起きるだろう。
だって、最近、あまりにもヒドイ。
画像や動画の掲載、酒を飲ませてドン、目も当てられない。
もう、時間の問題だ。
そして、ほどなく注意喚起や一斉のツイ消しが始まるだろう。
これは2年に一度くらいのペースで繰り返されているが、人は喉元すぎれば熱さを忘れ。
そして2024〜25年ころにもまた起きるだろうということまでわかっている。
僕はフォロワー5,000のこの影響力を使って、なんとかその不幸を止めたいと思い、注意喚起のツイートをしたりも頑張るけれど、、、
影響力も100じゃないから、止められない歴史はエンドレスに、繰り返してしまう。
幸せを追求するために、僕たちはモテを頑張ろうと思って始めたはずなのに、多くの人が不幸の落とし穴に落ちていくのだ。
僕はせめて、自分の両手の届く範囲の仲間、フォロワー、そして彼らの先にいる女の子たちだけでも、落ちてしまわないようにがんばりたい。
一応、発信者として、責任持ってやる。
やはり幸せというのは、引用文中でもあったように、「過度にならない程度に自己の能力を発揮すること」で感じやすいものだろう。
たとえば僕自身、この発信活動は、12年のナンパ歴と、持ち前の分析力や発信力を発揮して、過度でない程度に、継続的に行っている。
それを喜んでくれる多くの人達がいるし、適度に報酬も貰える。
これに非常にやりがいを感じる。
あなた自身も、経験があるのではないだろうか?
仕事や学業で、ギリギリ難しいけどギリギリ攻略できる問題を取り組んでいる時、めっちゃ楽しいって。
スポーツなどでも、小学生チームと対戦しても面白くない。
逆に、セミプロと対戦しても、面白くない。
やはり、同じレベルのライバルと戦って、ひりつくゲーム運びになっている時に、ものすごい集中力と高揚を感じるのではないだろうか。
ゲームでもそう。
四天王を倒したあとに、もう野生のコラッタやキャタピーなんて戦いたくもない。
戦えば勝てるけど、そんなことよりも、もう「にげる」をしたいと思ってしまうよね。
強くなった状態で戦うならやはり、通信対戦で強い相手がいい。
この幸せの条件を心理学的には「フロー体験」と言ったりする。
興味のある方は以下文献を参照されたし。(ちょと難解だけど、面白い!)
そう考えていけば、今のあなたは、モテにおいて
「ギリギリ勝てそう、難しいけどね!でも、自分の影響力で相手を幸せにしたい!」
そんな物事に取り組んでいくのが、最も幸福になれそうだ。
たとえば、ストナンできたことがないなら、まずはなんとか「ひとこえ」、挑戦してみるといい。
そしてもちろん、女の子を抱くのは、界隈の友人に自慢するためじゃないよ。
女の子を抱くのは、女の子を幸せにするためだ。
それを履き違えると、まちがいなく、不幸だ。
2)退屈というもの
次に、「フロー体験」などを通じて、いつかあなたがモテやお金、承認欲求など、あらゆるものが満たされた先に起きてしまうことについて考えよう。
それは引用文中にあったように、これだ。
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