月の話をした夜
今でも思い出す月の晩がある。
もう何年も前の中秋の名月のことだ。
おじさまと外で食事をした後、私の部屋で飲み直そうとしていた時だった。
「そういえば今日は中秋の名月ですね」
「あ!そうでしたね」
ベランダに出てみたけど月は見えなかったので、外まで出てみようかということになった。
「じゃあそのまま外でお月見しながら飲んじゃいましょっか?」
私はレストランでもカフェでもテラス席が大好きなのでそう提案した。
そして赤ワインのボトル1本とワイングラスを2つ手にぶら下げて、近くの小高い公園まで歩いて行った。
我ながら洒落たことしてる〜〜〜!と思いながら。
しかし本当に洒落ていたのはここからだった。(わたし比)
月が綺麗に見えるベンチに座ってワインを飲み始めた時、
「‥‥月にまつわる話といえば『竹取物語』ですかね、やっぱり」
とおじさまが言った。
「そうですね。あとは‥‥『金色夜叉』の月夜の場面とか?『いいか宮さん、よっく覚えておおき。来年の今月今夜、月が曇ったらならば‥‥』」(適当に覚えているので微妙に間違ってる)
お互い思いつくまま、月の出て来る話を挙げ始めた。
「『月に吠える』とか」
「『富嶽百景』とか」
「月見草ですか」
「月見草もそうですけど、太宰が月夜に維新の志士気取りで歩いてててお財布落とす箇所がありますでしょ?」
「よく覚えてるな」
「私、太宰の中で富嶽百景が一等好きなんです。御坂峠も行きましたもの」
「『月下の一群』」
「あ、何でしたっけ、それ?」
「堀口大學の訳詩集です」
「印象的で素敵な外題ですよねぇ(読んだことはないけど‥‥)」
「I love you を『月が綺麗ですね』って訳すっていう例の話、漱石が言ったって言われてますけど、私、漱石の書いた物って手紙や日記も含めてたぶん全部読んでるはずなのに、それは覚えてないんですよね。でも、もしそんなこと言うとしたらそれは漱石以外いないだろうなって思うんです。いかにも漱石らしい感じ」
「『月世界旅行』とか『月長石』とか『月と6ペンス』とか」
「‥‥‥‥‥‥』(外国文学に疎いので黙る私)
「あっ大変!源氏物語の『朧月夜』を忘れてました!『朧月夜に似るものぞなき‥‥』」
「僕は古典に明るくないので‥‥」
「私も源氏物語以外の話を振られたら困るんですけども‥‥」
「江戸川乱歩にも月の話ありましたよね。あなた乱歩好きでしょう」
「『月と手袋』ですか?」
「いや、なんだったか月の前で踊る‥‥」
「『踊る一寸法師』かな?」
「そうかもしれない。横溝正史にも何かありませんでしたっけ?『獄門島』の三姉妹の名前が確か‥‥」
「そうだ!雪月花みたいな感じでしたよね。月子みたいな」(月代でした)
「落語では何かありませんでしたっけ?」
「落語ね。‥‥『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』は‥‥何だったかな。落語だったっけ」
「赤城の山も今宵を限り‥‥っていうのは何でしたっけ?」
「国定忠治でしょう」
(そう言った後、おじさまが『明月赤城山』という曲を歌い始めるが古過ぎてわからない)
それから月の出てくる歌を挙げ始めて、二人ともだいぶ酔っ払いながら『月がとっても青いから』とか『月光價千金』とか『今宵の月のように』を歌ったりした。(高歌放吟の許されるひと気のない公園でした)
◇
懐かしい。今もって懐かしい。
おじさまも私が相手だから手加減してくれていたとは思うけど、すごく楽しく話をした。
つくづく、あれはのんきな良いお月見だったなと思う。
悲しいことや不安になることが日々起こるけど、たまにこういう気楽な晩を思い出したいものだな。
ま、憂き世を忘れるにはちょっとささやか過ぎるけども。