依存的自立について
こんにちは!
国際ソーシャルワーカーの卵の
ハナノです🐣
今日は、ソーシャルワークの理念のひとつでもある
「自立」について学んだことをシェアします🙌
いろんな所で「自立をしよう!」と叫ばれておりますが、
そもそも「自立」ってなに?というところから
始められればと思います。
時代とともに、その意味も変わってきているのが
興味深い👀
これまでの「自立」の意味
・経済的職業的な自立
・医療モデルにおける身体的な自立
・周りの援助を必要とせず自分でやること
誰にも頼らずに、1人で独立して生きていくこと、という
ニュアンスが強いように感じます。
QOL(生活の質)を高めることよりも
ADL(日常生活動作)がちゃんと出来ているか。
極端な話、その人の生活の質がどんなに悪かろうが
ちゃんと自分で働いてご飯食べて、排泄してお風呂入れるようにする、
っていうことが最終ゴール。
私の中のイメージでは、国益のために義務的に付与されるものです。
自立生活運動のはじまり
自立生活運動は、「どのような障害があっても、その人らしい自立生活を営む権利がある」ことを主張した運動です。
1962年、アメリカのカリフォルニア大学で
エド・ロバーツが入学し、障害学生の運動組織を結成。
そこで、大学のキャンパスや地域社会のアクセシビリティを求めました。
(ちなみに彼は、アメリカで初めて大学に入学した
重度の全身性の身体障害を持つ方でした)
これまで医者などの専門職の立場にある人たちが
一方的に障害者のニーズやその満たし方を決めていたことに
一石を投じました。
この運動がアメリカ全土へ、いっきに拡大し
国内の法整備が一気に進みました。
権利を守るための社会運動が、学生を中心となって巻き起こり
実際にそれが社会変革へと繋げていったんですね✊
今の「あたりまえ」の裏には、たくさんの人の苦難や葛藤があり
その中でもしっかりと「要求し、提案する」ということを続けてきた
結果なんだということを再認識しました。
以下の文章は、有名なILの代表的な規定です。
これまで、障害者は無力な保護されるべき対象とされ
人としての尊厳を奪われてきた人々でしたが、
本来はそれぞれの強みを活かして、依存しながら
積極的に自立していくべき、というメッセージが伝わってきます。
「自立」と「依存」って、けっこう対になる言葉だけど
その本質を辿っていくと、実は密接な関係にあるようです💡
これからの「自立」の意味
このような当事者による様々な社会運動によって
「自立」の意味が変遷してきました。
これからの時代における「自立」は、
経済的職業的、身辺自立ができているかどうかに関わらず
自立生活は成り立つ、という考え方に大シフト❗️
ADL(日常生活動作)よりもQOL(生活の質)を
もっと重視していこう、となりました。
義務的に与えられるものではなく、
個人の権利や尊厳を保持するために、
主体的に獲得していくもの。
そのためには、本人が描き、望んだ人生を実現するために
自己決定権の行使をして、必要なサービスや支援、
信頼出来る人などを選んでいくことが大切で、
それを積極的にサポートしていくことが、
今のソーシャルワーカーには求められているようです。
そして、これまでは「障害があること」が問題だったのに対し、
今は障害があることではなく、「それを取り巻く環境」が問題だ、
という認識が強まり、バリアフリーデザインなどの
環境の整備が整えられてきたのだと思います。
ちなみに、今日のソーシャルワークにおける「じりつ」というのは
「自律」と「自立」という二つの意味が含まれています。
・誰からの支配や制約を受けずに、
自分自身で立てた規範に従って行動すること
(=行動としての自律・autonomy)
・他社からの支配や助力を受けずに
存在すること(=あり方としての自立・independence)
時代とともに、「自立」がどういうものか
変わってきているんですね〜〜〜!
依存できなかった子供たち
きっと、児童養護施設などで暮らす子供たちの中には、
親からの虐待やネグレクトを受けてきた子も多いはず。
そこまで行かずとも、厳しい親に育てられ
依存するという経験を十分にできなかった子供たちは
どうやって自立・自律をしていくのか。
「親が厳しく、自分の弱い部分を含めて
ありのままの自分を否定されてきた。」
「安心できる場所がなかった。」
という環境では、
自己肯定感や自尊感情が奪われたり
育まれなかったりするかもしれません。
家族や大人、社会への信頼が実体験として学べていないと、
「依存する権利」=「自分のQOLのために自己決定する権利」を
認識して、それを使うことへのハードルがかなり上がってしまう。
人間はそもそも、依存的な生き物であるはずなのにね。。。
世間の厳しい自己責任論も相まって
「自分1人でなんとかしなきゃ」となり、
自立を求めた結果、限界になってしまうってことが
今日の社会では多いのかもしれません。
ソーシャルワーカーは、それを防いでいくこと、
誰もが自分が人生の主人公として胸を張って歩めるように
エンパワメントすることが求められているのかな、と。
そんなことを思いました🌞
ソーシャルワーカーって、やっぱりカッコいいなあ。
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