素の自分も案外捨てたもんじゃない
「またあの子が出てきた。」
ときどき夢の中に出てくるあの子。
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あの子とは、高校生の同級生だったN君。高校に入学して何度目かの席替えで、私はN君の真後ろの席になった。
最前列だったにも関わらず、授業中でもN君は私に話しかけてきた。椅子の背もたれに肩肘を置き、真横に座るのが癖だったから、ときどき先生から前を向くよう注意を受けていた。それでも授業中に先生の目を盗んで、私にちょくちょく話しかけてきた。
その頃の私はすでにN君に恋心を抱いていたから、授業中にN君から小声で話しかけられると、二人だけのヒミツばなしをしているような感じがして、とても嬉しかった。
高校1年生の冬には二人で映画を観に行ったり、公園のベンチで話をしたりした。家では親に長電話を注意されたこともあった。
しかし長電話といっても、実はそんなに会話が弾んでいたわけではなく、妙に気を使いすぎてしまい、教室の席で話すほど話題がスムーズに出てこなかった。
私たちは付き合っているのかいないのか、はっきりとしない関係。そうこうしているうちに「N君が別の高校の女の子と付き合っている」とか「同じクラスの女の子のことが好きみたい」とか、私にとってはショックな噂が耳に入ってきて、そのうちに私はN君への恋心を抱いたまま、N君から遠ざかっていった。
N君から遠ざかっていったのも、私は自信をなくし、自分が情けなってしまったからだった。
噂で聞いた別の高校の女の子や同じクラスの女の子のことを思い出し、確かにその子たちの方が可愛いよね…と凹んだり、その子たちの可愛らしさを羨んだりしていたけれど、そんな自分を悟られないように振る舞いながら、N君への想いも、悲しみも奥深くにしまい込んだ。
もう凹むことも自信をなくすことも嫌で、当時部活もしていなかった私は、放課後の時間を学校以外の場所で気持ちを紛らわしているうちに、N君のことや、比べていた女の子たちのことへの意識が薄れていった。
*
あれから何十年も経つけれど、これまでにも私の夢にはN君がときどき登場する。夢の中の私は、あの頃のなんともいえない気持ちのままだ。
しかし、最近夢にN君が登場した時、私の気持ちは吹っ切れていた。目が覚めてからもなんだか清々しかった。
でも、なんで?
こじつけのような話だけれど。今、私は仕事に対してやりがいを感じている。ここ数年間、私に合った仕事はないんじゃないか、と悩んでいたこの私がだ。
長年、私は他人と比べて凹む癖があって、分かっていてもやめられなかった。そのうえ、周りの空気に合わせることを優先的に考えてきた。そうすると、自分が嫌な思いをしていても、違和感を抱いていても、周りに合わせなければいけないと思い、自分の気持ちを奥深くに押し込んできた。
しかしある方とお話ししたときに、感情を蔑ろにしているよ、と私に伝えてくださり、それから自分の感情を見るようにしてきた。始めの頃なんて「この感情は喜怒哀楽のどれだろう?」からのスタートだったような気もする。
喜怒哀楽さまざまな感情を確認しながら、「そうかそうか」と自分自身に頷くように過ごしてきた。その中でも「嬉しい」という感じることは感動にも繋がり、私を解放してくれた。「悲しい」と感じたときは、素直に悲しがっても良いんだと、自分をなだめていた。自分の感情に素直になってそれを表現していくことで人とのコミュニケーションも取りやすくなってきたし、ひとりで過ごす時間もリラックスして過ごせるようになってきた。
自分の感情を見るようになって1年半ほど経ってから、そんな私に声をかけてくださる人がいて、今の仕事とも出会うことができた。仕事で私が心がけていきたいと思っていることを、私なりに表現できるようにもなってきた。失敗することもあるけれど、前向きな気持ちで仕事をすることができ、職場の方からは「そのままの自然体で」とまで言ってくださり、ありがたい限り。
素の自分も案外捨てたもんじゃない。
Nくんのことが好きだったんだ。他の子との噂ばなしを耳にして、私悲しかったんだ。
高校生だったあの頃の恋心を懐かしい思い出として、区切りをつけることができていたことに気がついて、さっぱりとした気分を味わえた今日この頃。
ヘッダーはTOMOさんのイラストをお借りしました。ありがとうございます。