逆境を乗り越える力:愛と人間的な触れ合いの重要性
いくら素晴らしい技術があっても人は癒せない
人間的な触れ合いと愛の交流がなければ
ヴィクトール・E・フランクル
ヴィクトール・E・フランクルのこの言葉を聞いた時、私はまさにそうだと思いました。
私には「死んだ方がましかもしれない」と思う出来事が、これまでの人生で何度かありました。
そこまで自分を追い詰めていた私が、いまこうしてブログを書けるようになったのは、「人間的な触れ合い」と「愛」の交流があったからです。
具体的には、信頼という絆で結ばれたと実感したことが多かったからでした。
「人生の逆境だ」と思う出来事に直面するたびに、私の人生は好転してきました。「逆境で人生を好転させるというのは、矛盾しているのではないか」と思われるかもしれません。もちろん、逆境の真っただ中は「好転している」という気持ちには到底なれません。しかし、後々に過去を振り返ったときに「あのときの逆境が、私を成長させてくれた」と思うことが多々あるのです。
逆境の真っただ中にいるときの私は「このまま深い海の中に沈みたい」「もう人と関わり合いたくない」と思っています。
しかし、そういうときこそなぜか「社会とかかわりなさいよ」と言われるかのように人と信頼を育む瞬間が訪れるのです。
もちろんすぐに打ち解けることはできないのですが、時間を経るごとにお互いを理解し合い、そして私は多くの気づきを頂いてきました。
この経験が、殻を破るきっかけとなり「人生を好転」させてきたのでした。
時には厳しい言葉をかけられることもあります。
たとえば、33歳で第一子を亡くしたときは「あなたは悲劇のヒロインになりきっているみたいだ」と言われたことがありました。
「いつまでもかわいそうな私を演じていると、まわりの人はやさしくしてくれる」と。
逆境にいるとき、私はどこかで「こんな不幸な人はいないでしょ!」「不幸な私を見て!」と周りに期待していました。
「だから、もっと私にかまってよ」と。
たしかに、まわりの人は腫れ物に触るようにやさしく接してくれました。
ですが、そこに「信頼」も「愛情」もなく、ただただ私は「腫れ物」に過ぎなかったのです。
しかし、率直に「あなたは悲劇のヒロインになりきっているみたいだ」と言われたことによって、その厳しさのなかに私を思っての愛情があることを感じました。
これは、直観としかいいようがないのですが、「本当にそうだな」と素直に心から思えたのでした。
それは、愛のある交流だったからだと思うのです。
どれも無償の愛でした。
見返りや報酬を求めた言葉ではなく、私のことを思ってのあえての厳しい言葉をかけてくれたのです。
とはいえ、私も人間なので「子どもを喪ったかわいそうな私」だと思いたくなることも度々ありました。
そんなときに「悲劇のヒロインになりきっている」という言葉を思い出して、自分を奮い立たせてきました。
その結果、こうしていまあなたにブログを通じて、経験をお話することができています。
人間的な触れ合いと愛の交流は人生で最も大切なものです。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
何か参考になれば幸いです。
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