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正解のない時代を生き抜く~VUCA時代に求められる新たな視点

概要
コロナ禍を経て、変動性や不確実性が増すVUCA時代が到来しました。VUCAとは、予測困難な未来を表す言葉です。子育てと管理職の両立に奮闘する中、どのように「正解のない世界」で自分らしく生き抜くべきか。新たな視点と実践的なヒントをお届けします。

安定神話の崩壊〜コロナがもたらした現実

正解のない時代を生き抜くスキルを持つことが、いま私たちに求められています。

コロナを経て「正解のあること」「安定していること」「絶対的なこと」だと思われていたことがガラガラと音を立てて崩れていきました。

例えば、安定した運賃収入を得ていた鉄道会社。安定した経営だからこそ会社がなくなることはないと誰もが思っていました。しかし、盤石な経営基盤を持ったと思われた鉄道会社が、コロナにより存続の危機に瀕したことは記憶に新しいところです。リモートワークが一般的になり、安定した運賃収入を提供する通勤客が減りました。私自身、1車両に乗客3人という新幹線に乗ったこともあります。さらに、高齢化が追い打ちをかけています。運転手不足など人手が足りないことで減便を余儀なくされています。たった4年の間に、安定した経営を誇っていた鉄道会社は、存続の危機に見舞われる不安定な会社に転落しました。

誰がこんな未来を想像したでしょうか。

ですが、これが2024年の現実なのです。

VUCA時代における挑戦

「正解のあること」「安定していること」「絶対的なこと」は幻想に過ぎなかったのです。

では、私たちはどんな時代を生きているのか?

それは「先の見えない」時代です。

このところ、VUCA(ブーカ)という言葉を聞くようになりました。

VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとった言葉で、目まぐるしく変転する予測困難な状況のことです。

経済が右肩上がりでなんでも売れる時代は、30年以上も前に終わりを告げました。しかし、私たちはかつての経済的な成功体験から抜け出せずに、いまももがいています。

失われた「30年」と言われることがありますが、失われたのは経済的な成功体験だけでなく、「未来を描く」チカラも同時に失われたように思われます。その結果、日本は長い停滞時期を経験し続けているのです。

その原因は、たった一つの「正解」を求める私たちの思考にあります。

経済がグローバル化していく中で、たった一つの「正解」というはあり得ません。世界には多様な民族があり、多様な文化があり、ある地域では「常識」であったとしても、別な地域では「非常識」ということが起こりうるからです。

そこで、提案したいのは、たった一つの「正解」を探し求めるのではなく「正解はない」と割り切ることです。

つまり、私にとっては正解かもしれないが、他者にとっては正解ではないという視点を持つということなのです。

実は、正解を求め続ける生き方というのは、精神的な苦しさを伴うものです。

というのも、絶対的な正解というのは存在しないからです。

私は、33歳の時に第一子を生後29日で亡くしました。その時に「生きている意味はあるのだろうか」と私は自分に問うようになりました。そして精神的に不安定な日々が続きました。

当時の私は「正解」を求める権化でした。

生きている意味が見つかれば、私は楽になれると考えました。ですが、子どもを亡くしたことで、母親になる夢を絶たれ、私は生きている意味を全く見出せませんでした。

それどころか、街中で妊婦を見ては悲しくなり、乳児を連れた家族を見れば「なぜ私には子どもがいないんのだろう」と涙を流しました。

「子どもを亡くし、未来への希望を亡くした私には何もない」

それが当時の気持ちでした。

やりきれない気持ちに何ヶ月も支配されました。

自分の運命を呪いましたし、「なんで私の人生はうまくいかないの?」と自分を責めました。

正解のない世界での自分の在り方

そんな中、同じ経験をしたある男性の言葉が胸に刺さったのです。

「無理に心の整理をしようと思わなくていいんだよ。」と。

その言葉を聞いた時、「ああ、もうこのままでいいんだ」と思ったのを覚えています。私は、子どもを亡くした自分を受け入れられず他人を羨んでいたのでした。

さらに羨んでいる自分が情けなくて、悔しくて。

「本当は私にだって、子どもを抱いている幸せな未来があったのに」と、手に入らない未来を手に入れようともがいていたのでした。しかし、「無理に心の整理しなくていい」と言われた瞬間に、「このままの人生を受け入れよう」と心から思えたのでした。

私にとっての正解は「結婚したら子どもを授かること」だったのです。

確かに、子どもが亡くなった、という事実は変わりません。

妊婦や乳児を連れた家族連れをみて「悲しい」という気持ちも変わりません。

ですが、そういう自分を「仕方ないよね」と受け入れることができるようになって、別な人生を考えることができるようになったのです。

自分らしい人生を選ぶ勇気

それは、子どものいない人生を受け入れるというものでした。

そのおかげで「私が自分の人生を生き切るにはどうしたらいいのか」という方に考え方をシフトしました。

子どもがいようがいまいが、「永嶋泰子」という人間の人生は続いていきます。

その中で、最期の瞬間に「この人生でよかった」と思える生き方をすれば私の人生は意味があったのではないか、と。

仮に正解があるとすれば最期の瞬間に、「私という人生を歩んで良かったと思えた」ときなのかもしれません。

「正解」は、最期の最後まで誰にもわからないもの。

これからの時代に求められているのは、「自分らしい生き方」にシフトしていくことなのです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
あなたの人生の参考になれば幸いです。

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