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一人旅のすすめ :旅と孤独

これから一人旅をする方に。

一人旅をしてみたいけど後一歩踏み出せないあなたに読んでいただけたら嬉しいです。



一人旅のきっかけ

大学生の頃、私は突如として「一人旅をしてみたい」と思い立った。

賑やかな仲間と過ごす旅行ももちろん楽しい。だけど、知らない街や異国の地を一人で歩いてみたら、いったいどんな風景が広がっているのだろう。

何かを振り切るように、そして何かをつかむように、私はバックパックひとつを担いで見知らぬ場所へと足を踏み出した。

最初の目的地

最初の目的地は東欧だった。

トルコのイスタンブールから入りイタリアのベネチアまで1ヶ月かけて北上する旅だ。空港に降り立ち、独特の活気あふれる熱気を肌で感じた瞬間、「ここはもう自分の知っている世界じゃない」と思った。

看板はアルファベットとも違う文字で書かれており、人々は理解不能な異なる言葉を交わしている。

第三者的な視点でそれらを眺める。
この場所では私を知る人は誰ひとりとしておらず、また私も彼らのことを誰も知らない。その事実に、不安と興奮がないまぜになった。

初日にイスタンブールのガラタ橋を一人で歩いていたときのことを、今でもはっきり思い出す。橋の上には、釣り竿を垂らすおじさんたちや、観光客のグループが笑顔で写真を撮り合っている。

ガラタ橋で釣りをするおじさん

私は異国の風に吹かれながら、言葉も通じない土地をただ黙々と歩いた。遠くから聞こえてくる笑い声や、甲高い船の汽笛がやけに乾いて響く。でもなぜか鮮明に耳に残る。

見上げれば、イスラム教を感じさせる街並みが広がり、川には巨大な貨物船がゆっくりと進んでいく。誰とも話さない時間が増えるにつれて、ふと自分の心の内側に目を向けるようになった。

景色をいつもより広く遠く感じる旅の初日

初めて感じる一人旅での孤独


一人旅で印象的だったのは、「孤独」と向き合う時間が予想以上に長いことだ。

誰かと一緒であれば、食事のメニューを決めるのも宿を探すのも、自然に話しながら楽しめる。しかし、一人旅ではすべてを自分で決断しなければならない。今晩はどの街に泊まるか、食事は何を食べるか、今日は何を見るか──些細なようでいて、意外にも体力が必要だ。

ときには、予約した宿が見当たらず、夜の街を途方に暮れながらさまよったこともある。見知らぬ人に巧妙にぼったくられそうになったこともある。そんなときは心細さが一気に増し、「帰りたい」とさえ思う。それでも、どうにか自力で解決して翌朝を迎えたとき、私はどこか誇らしい気持ちを抱くのだ。自分の足で決断し、行動して、この場所に立っているのは紛れもなく自分なのだと実感する。

孤独という言葉に、寂しいイメージを抱くかもしれない。でも実際に一人旅をしてみると、必ずしもネガティブな意味合いではないと気づかされる。

車窓から眺める景色が、やけに意味ありげにこちらを覗く


自然と孤独


スロベニアのブレット湖の近くにある山を一人で登ったとき、最初は孤独を感じた。自然の中に一人。木々や風が自分に差し迫るような威圧感を放ち、冷たい眼差しを向けられているような錯覚に陥る。

静かな森の深淵で

それでもしばらく紅葉の山道を歩きながら「今この瞬間、私は何にも縛られず自由なんだな」と思った。

都会とは違い、区画化された道もなければ人気も少ない。誰にも束縛されず、好きなときに好きなだけ立ち止まって風景を眺め、気が向けばカメラのシャッターを切り、疲れたら思い切り休む。

そんな些細な選択一つ一つに、自分の意志がありありと反映されていることに気づくと、孤独はむしろ贅沢な状態でもあると感じられた。

そんな自分と向き合った山道を経て頂上に着いた。その先に見た湖に浮かぶ教会の神聖さは今でも忘れない。自分と向き合った先に、「神様はいるかもしれない」と、そう思った。

ブレット湖。山頂にも教会の鐘が響く。

日本国内でも、まだ行ったことのない土地へ出かけるときには、同じような孤独を味わう。冬の北海道を旅したとき、吹雪のなかを駅から宿まで歩いた経験がある。遠くに街灯がぼんやり光り、目の前には白一色の世界が広がっていた。雪の重みで軋む道を一歩ずつ進むうちに、自分の足音だけが響いてくる。

その足音を聞くたびに、雪に打たれ凍てつく大地を進む私を嘲笑うかのように聞こえ孤独感を覚えた。でも、その孤独こそが私と自然を繋いでくれる糸のようにも思えた。人工的な音がほとんどしない真っ白な世界で、自分の存在を確認するのは凍てつく空気と足音だけ。

そんな環境でふと頭をよぎるのは、「自分は何を考え旅をし、何を得ているのだろう」という問いだ。自然と孤独を通して、自分との対話がはじまる。


自分との対話


孤独が心地よいと思えるようになるまでには、少し時間がかかるかもしれない。 旅の初日は特に不安が大きいし、言語の壁がある海外だとコミュニケーション一つとってもストレスを感じる。

しかし、その不安や寂しさと向き合うことは、とても大切な経験になる。

一人だからこそ、普段なら人任せにしてしまう選択をすべて自分の力で行う必要がある。これは大変な作業だが、同時に「自分はどうしたいのか?」を日常よりも深く考えるきっかけになる。

等身大の自分とは?


また、一人旅だからこそ生まれる「一期一会の出会い」もある。 海外のゲストハウスで偶然同じ部屋になったバックパッカーと朝まで語り合ったり、日本の温泉宿で隣に座った地元のおじいさんから、その土地の歴史や名物を教えてもらったり。

もし友人や家族と一緒の旅なら、仲間内で楽しんで終わっていたかもしれないが、一人旅だと自然に外に目を向けることになる。だからこそ、言葉や文化が違う相手とも関わりが生まれやすい。

孤独なはずが、意外と温かい交流が生まれる瞬間があるのだ。

こうした経験を重ねていくうちに、私は「孤独は自己対話の時間でもあり、新しい世界とつながるチャンスでもある」ということを学んだ。一人きりの時間をどう扱うかで、旅の充実度は大きく変わる。

次の目的地を自分で決め、出会いを自分で求め、時に失敗して落ち込んでも、自分で立ち上がる。そして、その一連のプロセスは、日常生活でも役立つ知恵や強さを育んでくれるのだと感じている。

もし、これを読んでいるあなたが一人旅に興味はあるものの、孤独や不安を恐れて踏み出せないでいるのだとしたら、ぜひ思いきってトライしてみてほしい。行き先は近場でも構わない。大事なのは「自分で決め、自分で行動してみる」ことだ。

一人で行動すると、確かに心細さはある。しかし、その寂しさや不安さえも旅の大切なエッセンスであり、あなたを新しい境地に連れて行ってくれるはずだ。

いざ大海原へ




孤独を完全に克服する必要はない。


孤独があってこそ得られる気づきや思い出がある。その場所でしか見られない景色を心ゆくまで味わい、誰にも邪魔されずに感じ取る自由と喜び。そこには、自分自身について考える絶好の機会が隠されている。

旅先で宿泊した小さなゲストハウスの薄暗いロビーで、ほかに誰もいない夜、私は自分の価値観をじっくりと確かめるようにノートに書き記した。旅先の何気ない一人の時間が、実は一番深い学びと自分らしさを再確認させてくれる瞬間だった。


こうして振り返ってみると、一人旅と孤独は「切っても切り離せない関係」でありながら、そこには大きな自由と自己発見の可能性が広がっていると言える。

一人であるからこそ、遭遇する風景や人々との出会いは、より強く印象に残る。孤独は時に寂しさをもたらすが、その寂しさを抱えながら進む旅の先に、新しい自分や思わぬ景色が待っているのだ。

これからも、私は折に触れて一人旅に出かけたい。

誰かと一緒に味わう楽しさとは違い、孤独を伴う旅には旅そのものと深く向き合う醍醐味がある。そして帰路につくとき、「一人旅は人を強くし、優しくし、そして自由にしてくれる」と実感する。

すべての決断を自分の責任で行ったからこそ、その経験は自信に変わり、日常の人間関係や仕事にもポジティブな影響を与えてくれるのだ。一人旅と孤独は、一生モノの学びの場であるといえる。


最後にクロアチアのスルジ山を一人で登った時に見た夕日で締めくくる。 その時の感情が景色と相まって、人生で忘れもしない景色となった。あの日の感情がこうして記憶される。


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