【22年卒の決意】花に魅せられて
これまでの21年間を振り返ると、花を目にしない日はなかったと本気で思う。それくらい、花はいつも私の生活の傍にあった。
本物の花、造花、モチーフとして描かれた花、色々な形ではあるけれど、私はいつも花を見たり、買ったり、撮ったり、描いたりしていた。
前回の記事で、これまでの私の「就活」を振り返った。
「発信する仕事をしたい」という思いから始まり、マスコミを中心に業界研究をしていたが、今では「花の魅力を世に広める仕事をしたい」と思っている。選社軸は以前に比べて明確になってきたと思う。
今回は、なぜ花と関わる仕事をしたいと思うようになったのか、幼少期から遡って、綴っていきたい。
花いっぱいの玄関
生まれてから高校生まで住んでいた実家の玄関には、いつも色とりどりの花々が植えられていた。全て祖母が育てていたもので、祖母は花が大好きだった。花を枯らしてしまったときの「ああ、かわいそうに。ごめんね」と花に語りかける祖母の悲しそうな顔は、今でも脳裏に残っている。
思い返せば、私が今花を見て元気が出たり、はたまた安心したりするのは、当時の記憶が影響しているのだろう。
朝出かけるときは、カラフルな花々を見て、「今日も頑張ろう」と思える。そして家に帰ってまず玄関先の花々が目に入って、「家に帰った」と実感していたのだ。
祖母の死
祖母が亡くなる数か月前の、中学3年生になる春休みは、一人でフラワーパークに出かけた。絵を描くのが好きだった私は、体調不良で出かけることが難しくなった祖母に喜んでもらおうと、桜やチューリップの絵をスケッチブックにしたためた。
誰かを喜ばせようと思い立った、初めての経験。花を通じて生まれた、温かな思い出だ。
同年夏に祖母が亡くなった後も、祖父の手入れによって、家の玄関にはたくさんの花々が元気に咲いていた。そこにはなんだか祖母の命がまだ残っている気がした。
同時にその頃から、自分の中で”花”は「ばあばが好きなもの」というより、「ばあばと同じように、私も好きなもの」になっていったと思う。
気づけば、たくさんの花の絵を描いていた。風景画を描くときは、無意識に花のある景色を選んでいた。
親元を離れて
大学生になり、親元を離れた私が真っ先に買ったのは、花だった。花いっぱいの玄関があった実家を離れ、新しい自分の住まいにどこか物足りなさを感じていた。しかし部屋に花を飾ると、そんな心も満たされたのだ。
実家にいた頃は気づかなかったが、いつの間にか私は玄関先の花を見ることが一種のルーティーンになっていたのだろう。
花に恩返しをしたい
振り返れば、私のこの21年間は、常に花と共にあった。これからは、そんな花に、恩返しをしたい。
花の魅力を伝えるのに貢献できる仕事は、花屋だけではない。近年では、フラワースクールや花を材料に使った料理やスイーツを提供する飲食店もある。花は、どこにあってもいい。どんな場所にもきっと調和して、その空間にいる人々の心を知らず知らずのうちに彩ってくれる。
つい先日、花と融合したメニューを提供していた駅前のカフェが閉店するという話を聞いた。もっと花が様々な事業とコラボレーションして、花の溢れる世界を作りたいと思っていた矢先、ショックな出来事だった。
でも、このような現実があるからこそ、今むくむくとやる気が湧いている。
就職活動の中で、「私が何とかしたい」とこんなにも使命感に駆られたのは、恥ずかしながらこれが初めてだった。今思えばこれまで受けてきたマスコミ業界での面接は、これに比べたら生半可な熱意で、情けなく、申し訳なく思う。
この先また、もしかしたら何か気持ちの変化があるかもしれない。でも今は、ようやく沸き起こったこの熱い思いのままに、正直に突き進んでいきたい。上に向かって凛と咲く花のように、真っすぐに。