ドラマから見る幸せの本質とは
子供が産まれてからかなぁ。
ドラマを見るのが当たり前になりました。
今や日常にドラマがなくてはならないほどの存在です。
純粋に時間がある、というのが大きなきっかけではあるけれど、元々映画やドラマが大好きで、本当はもっと見たいのに見れていなかったのはそれなんだろうなと。
子育ての合間にイヤホンつけながら見たり、夜寝かしつけた後に旦那と見たり、今はフリーだから仕事が早く終わったらドラマ。むしろシナリオの勉強と称して見る時間をオンタイムにしっかりとっている程。
それで、ここ2年ほどで特にたくさんのドラマを見てきたけど、フリーランス(シナリオライター)になってから一番考えさせられたのは昨日最終回を迎えた『持続可能な恋ですか?』だと思います。
恋愛ドラマではあるのですが、タイトルの通りベースに敷かれているテーマはサステナブル、多様性の考え方。
いろんな生き方があっていいんだよ、いろんな形があっていいんだよ、それを辞書編纂者である父(松重豊演じる林太郎)と、ヨガインストラクターの一人娘(上野樹里演じる杏花)の言葉を通して伝えていくスタイルです。
言葉のプロである辞書編纂者と、ヨガの教えを説くインストラクター。この2人だからこそ、この難しいテーマを視聴者にサラッと伝えてくれるのです。
私のnoteを読んでくださっている方は知ってくださっているかと思いますが、いわばこのドラマで伝えていることと全く同じことを私はずっと発信しています。
でも、これを一個人が主観で綴ることに限界があると感じていたのを、このドラマに再認識させられました。
まだまだ世の中の大多数に受け入れられないことは、やっぱり存在していて。
それをわかりやすく、受け入れやすく、面白く、優しく、シンプルに伝えるのがエンタメなんだと強く強く思いました。
私は元々エンタメ業界にいたので、エンタメの力は信じています。
でもここ最近は持ち腐れというか、上手く乗せられていないなぁと感じていて、むしろメディアが悪い方向に影響していることの方が強く感じていたのです。
今作でも独りよがりな作品があって、やっぱりそれは伝えたいものが伝わってないし、求められているものに応えられなかった。
すごく残念ですが、エンタメというものを改めて考えた3ヶ月でした。(ドラマ制作に関わっているわけではないのに、当事者意識半端ない笑)
私もひとりの伝え手として、これはちゃんと意識しないといけないなぁ仕事ってこういうことなんだなぁってのも今クールのドラマを見ていてとても感じました。こんなに素直に勉強したなと感じたのも久しぶりです。
でも、この『じぞ恋』でやっぱり「伝える」の最強ツールはエンタメだと再確認できたので、こうして今の思いをまとめておこうと思いました。
そして、じぞ恋にはたくさんの名セリフが出て来たのですが、ここでは特に印象的だったものを少しだけ紹介します。
【自分探しなんてしていたら…不幸になるよ】
まずはこちら。
カリスマヨガ講師のMIKAKO先生の言葉です。
主人公の杏花が自分の気持ちにどこか我慢をしてしまい、思い悩むシーンがあります。
正解を探しているような、そんな様子に気がついたMIKAKO先生は、こうボソッと呟くんですね。
これを聞いた時、もう雷に打たれた感覚でした。
実は少し前から、自分探しが趣味のような私でもこの自分探しの沼の中にいたら幸せになれないんじゃないか…でも、怖い。ずっと(正解を)探していたい。そんな気持ちと、自己探求なんて続ける意味あるんだろうか?という気持ちがずっとぐるぐる喧嘩してました。
もう最近は後者に軍配が上がっている中で、これをなんと表現することでこの喧嘩を昇華させられるだろう…なんて思考にも浮かぶ前の段階でこの言葉を受け、あぁ、このモヤモヤした感覚はこれだったのかととてつもなく合点がいきました。
この感じ方は様々かと思いますが、私のnote愛読いただいている方にも衝撃が走るんじゃないでしょうか…。
天然幸せ人ってどんな人だろう。
ってよく考えるんです。
この人はたぶん何も考えてないのに幸せな人だなって人いませんか?すごいたまに。
それが天然幸せ人。
これの容姿バージョンが橋本環奈さんとか、モデルや俳優女優の皆さんですね。天然美人。
それの幸せバージョンの話です。
私はこの天然幸せ人がやはり一番ナチュラルで、自然に調和する幸せな生き方の本来の形だと思っていて。
いろいろ捏ねくり回して幸せになっても、何だかやっぱり隙間からいろいろ漏れるしいろいろ見えちゃうし、継ぎはぎする虚しさのようなものってやっぱり残っちゃうなって。
だから、自分探しをして、何となく見つけて、何となくそれに従って道を開いて、また迷子になって自分を探し始めて…みたいなのって、幸せになるために本人はやってるのかもしれないけれど、そのフェーズが変わる瞬間に立ち会うのが怖くて、それから逃げるために正解を探し続けているだけだと思うんですよね。
その試行錯誤の中で人間力が磨かれたりすることもあるかもしれないし、なにか大きな出会いとかきっかけがあるかもしれない。
けれど、その繰り返しの果てにはこの言葉がきっと待っている気がするんです。
あぁ、私は何やってんだ。って。
難しく考えて現状を捏ねくり回すより、シンプルに今の心が震えることを選ぼう。って。
このドラマでも、天然幸せ人はほとんど出て来ません。MIKAKO先生と、当て馬幼馴染の颯くらいでしょうか。(ちなみに2人とも海外のマインドが強い役です。)
あとは天然の方ではないですが、年齢と共に人生を学んでいった主人公の父の辞書編纂者はその経験値から幸せの本質のようなものを掴み、言語化までできてしまいます。
けれど他の登場人物はみんな私たちと同じで、自分の心と向き合いきれずに思い悩みながらも前に進むキャラクターです。
みんな、MIKAKO先生や颯、お父さん、その他の周りの人との関係から刺激を受け、ナチュラルな幸せに向けて自分の心と、大切な人と向き合っていくようになります。
よくできていますね、本当にこのドラマ。
この紆余曲折の先のこの言葉。
今の私だから深いところで受け取れたのかもしれないけれど、この言葉に救われる人はたくさんいるはず。
この言葉で心が動いた方は、もう自分探しのその先の世界にいきましょう。
今は自分探しのためのサービスがわんさか溢れて、とんでもない金額で売られていたりします。
そんなのいらないよって半年ほど前に私noteに書いてるんですが、いらないんですよ。
だって、継ぎはぎしながら見つけた自分らしさの先に本当の幸せはない。(これも過去に書いてます)
自分の心に正直になること。
それを言葉と愛を持って伝えること。
本来の姿の私と、周りのあなたたちで、幸せはつくられます。
それに付随してですが、
「言葉は誰かに気持ちを伝えるためにあるもの」「自分らしさは他人がつくる」
という言葉もとても印象的でした。
自分の心に正直になり、その想いを言葉で相手に伝える。その愛のコミュニケーションの中から自分らしさは見えてくる。
とってもとっても素敵な想いをシナリオに乗せて届けていただいたような気持ちです。
【持続可能な恋は、叶わなかった恋だけ】
続いてはこちら!
最終回のラストシーン、当て馬幼馴染の颯が放ったセリフです。
これもやられたー。って感じでした。
もう何言っても後出しジャンケンになるのは承知の上ですが、言います。言わせてください。
これ私の最大のテーマなんですけどーー!!!!
これでシナリオめっちゃ構想してたんですけどーーーー!!!!!!
これねー。
たくさんの方が実体験をもとに確かに!!
となるワードではないでしょうか。
いろんな捉え方があるかと思いますが、やはり叶わない恋はいつまでも心に残ります。
ちなみに、この幼馴染ははっきりと想いを伝えて失恋しています。(当て馬役ですからね)
でも、主人公杏花の本命である晴太(田中圭)は、お互いに大好きなのにお互いを思って一緒にいないことを選択するんです。
両思いなのに変に拗らせて杏花を振るんです。
田中圭さんご本人のブログでも書かれてましたが、晴太は圧倒的に人の話を聞いてないから杏花の想いがわからないんですよね。笑
しかも自分もめちゃくちゃ気持ち押し殺すんですよ。自分にすごい嘘ついて。もどかしいなぁ笑
もちろん杏花は忘れられない。
晴太もずっと頭から離れない様子。
いろいろすれ違っちゃったり、タイミング悪くてね。
最終的に杏花に振られた幼馴染颯のアシストで晴太は本当の気持ちを伝えます。
それでめでたくハッピーエンドな訳ですが、もし颯のアシストなしでこの2人が本当の気持ちを相手に伝えることができずに結ばれなかったら…。
颯の恋以上に、2人のそれぞれの恋心は永続的なものになると思いませんか?
伝えて叶わなかった恋よりも、伝えずに叶わなかった恋の方が粘着性が強い。
いつまでもいつまでも心から離れない。
頭の片隅に残る。
夢に出てくる。
また思い出す。
また心に刻まれる。
今どうしてるかなぁ会えないかなぁなんて考える…。
私はその恋を20年間しています。
もうネタバレしますが、今構想してるシナリオこれです。(言っちゃったw)
私のネタがぁぁぁってのが言いたかったわけではなく、心が本当に感じている想いにちゃんと所在を与えてあげることがどれほど大切かってことです。
これは恋愛だけじゃない。
仕事や夢、家族関係とかもそうかもしれません。
想いを伝えるのに、実現するのに遅いなんてことはない!とかよく聞いたりしますが、やっぱりそれは物理的に無理なこともたくさんあります。
結婚してるのに想いを伝えていいの?
死別していたら?
病に倒れた80歳がアイドルになれる?
本当の想いが伝えられないままの状態で動けなくなることほど、苦しいことはありません。
一生後悔するってのは、案外嘘じゃないです。
想いにきちんと居場所を作ってあげる。
これもいつかのnoteで話してますが、やっぱりこれだなぁと思いました。
【生きることは変化すること】
最後はこちら。
これはもう純粋に、新しい発見でした。
この言葉は、辞書編纂者のお父さんが若かりし頃の恩師に頂いた言葉。
本の世界に浸り、現実世界に生きていなかったお父さんが、「生きていないから良い言葉は紡げない」と言われるんですね。
これは、生きるとは変化をすること。その変化し続ける中で生まれたものによって生きた言葉が生まれ、それこそが人々に響くものなんだと。
言葉の世界だけではなく、生き方そのものに対してもとても強く心が動かされました。
例えば、初めに話したように、
自分らしさは〇〇で、好きなことは〇〇で、得意なことは〇〇ですっ!!!
っていうのを掲げるということは、その枠から出ること、変化することを恐れることに繋がるんじゃないかと私は考えます。
人は変化するもの。
その一瞬で変わっちゃうこともある。
だから不安で、怖いという感情が現れる。
だから安心できる正解や枠を置いておきたくなる。
でもそれは、いわば刻々と変わる今この瞬間の自分が死んでいるということとも言えます。
今この瞬間の自分が死んだら、未来の自分も存在しないのです。
とはいえ、いつでも未来は作れます。
だからそれに気がついて、変化を厭わずに今を生きればいいのです。
変化することこそ、生きること。
変化することこそ、今この瞬間の自分を大切にすること。
変化することこそ、幸せの起点となる愛のコミュニケーションを良好にさせる良質な言葉を紡ぐことができるということ。
最後は逆説的になっちゃいましたが、やっぱりこの3つの名ゼリフは全て「幸せに生きること」と「言葉」の繋がりがあり、このドラマを通して学んだ幸福論の一番の根っこは今を生きることなんだと感じました。
変化し続ける心のままに今を生きて、その想いを言葉に乗せて相手に伝え、大切なその人によって幸せがつくられていく。
とても、シンプルであり、天然幸せ人が自然と行っていることなのではないでしょうか。
ちなみに。
この天然幸せ人を最もわかりやすく言うならば、赤ちゃんや子どもです。
大人もそれで良いんです。
もっともっと、純粋に自分を生きるを楽しみましょう。
どうかどうか、
必要な方にこの記事が届きますように。