【インスパイア小説】Sad number
インスパイア小説
Laura day romance / Sad number
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この景色を見るのはもう最後か…
沈みかけた夕日が眩しく、丸く縮まった背中をぎゅっと抱きしめ、顔を埋めた。
外国風の柔軟剤のこの匂いも、この感触も、最後か…。
心地いい風とともに、落ち切ったカラーで黄色くなった髪が顔にかかる。
少し大きめのヘルメットがかたかたとズレるのがもどかしい。
もっと、今を感じていたいのに。
海に着いた頃には、ほとんど太陽は沈みかけていた。
ヘルメットをカシャっと取られ、ボサボサになった長い髪の毛をいつものように整えてもらった。
まるで撫でられる猫のようになるこの数秒が大好きだった。
わたしたちはたまにこの海に来た。
なんとなく、いつもの街に飽きたとき。
なんとなく、ゆっくり2人の時間を過ごしたいとき。
ただ、なんとなく。
静かな波の音が心地良い。
ふんわり舞うギンガムチェックのワンピースが足に絡まっているのが何とももどかしい。
今、この瞬間を味わいたいのに。
綺麗な星を堪能して、元来た道を走り、駅を目指した。
ほんとに、これが最後だ。
頬を撫でる冷たい風が、さらに心をきゅっと縮ませた。
彼はまた猫を撫でるようにわたしの髪を整え、コインロッカーに向かった。
バス乗り場までのわずかな道中もすぐ隣にいたかったのに、大きな荷物が邪魔をした。
22時40分。
薄暗い駅の片隅は、夜行バスを待っているであろう人で賑わいはじめた。
このソワソワする時間がわたしはいつも苦手だった。
話の途中でバスが来てしまうかもしれないと、いつも往復だけで終わる会話しかできなかった。
手を繋いで、たまに指を絡ませて遊びながら、大した話をするわけでもなく過ごすこの数分は、いつも後からすぐに無くなってしまうような時間となってしまうのだ。
今日はなおさらだ。
だって、もう、話の続きを話せることがないのだから。
時計は22時50分を回っていた。
あと10分ほどで、終わってしまうのだ。
ちらっと隣で背中を丸める彼の顔を覗いてみた。
寂しいと思ってるのだろうか。
前髪で隠れた細い目が好きだったなぁと思い出した。
そっと前髪を撫でると、彼はくしゃっと笑いかけた。
なんだか心がもたなくて目を逸らしてしまった。
23:05発…
そのとき、わたしの乗るであろうバスが着いたとアナウンスが入った。
少し寂しそうな表情を覗かせた彼の顔は、一生忘れないだろうと感じた。
わたしたちはぎゅっとハグをした。
バスの席は悲くもかな、運転席側だった。
数人の頭の間から窓を見ると、彼が見えた。
くしゃっと笑い、手を振ってくれた。
あぁ、その細くて大きい手も大好きだった。
手を振りかえしながらそんなことを思うと涙が出そうになったが、バスはすぐに出発した。
バスではいつも音楽を聴いた。
プレイリストは彼の大好きなアーティストや、曲ばかりが詰め込まれていた。
どれを聴いても悲くなりそうだったが、音楽のないバスはなんだか居心地が悪い。
音量を限界まで下げ、いつものプレイリストをシャッフル再生した。
イントロが流れた瞬間、堪えていた涙が流れた。
1曲目がSad numberなんて。
それから何年か経った。
ふと夜中にかけていたラジオで、それは流れ始めた。
ゴロンとベッドに横たわりながら、あの時のことを思い出した。
夜行バスなんかもうそれっきり乗っていなかったけれど、きっと今バスを見たら、また思い出して泣いてしまいそうだ。
生ぬるい風が肌をかすめた。
黄色くなった長い髪の毛が頬にかかり、もどかしい。
そろそろ美容院、いこう。
fin.