「 スッピンと化粧顔 」
午前6時、冬の空がうつくしい。
Twitterにアップするために写真を撮ろうと思いました。外はマイナス20℃。パジャマを着たままだとベランダに出られません。室内から撮るため、スマホのカメラを起動させながら寝室の窓を開けたとき、「カシャッ」と音がなりました。
まちがってシャッターボタンを押してしまったようです。写真を削除しようと思いスマホをのぞきむと、見慣れない「おばさん」がうつっていました。
「誰…?」
一瞬わかりませんでした。自分の顔と認識できませんでした。
下からあおられたせいで存在感の増した二重あご、鼻のあな、ほうれい線、たるみ、「ごはんですよ」的ポジションにずり落ちたメガネ。カメラはホントに残酷ですね。中年疲れを的確にうつしだしています。まだ背後霊がうつったほうがセンセーショナルでよかったのですが。がっかりして、空の写真を撮る意欲も失せてしまいました。
朝ご飯を食べながら不思議に思いました。
「なぜ『スッピン』を自分と認識できなかったのだろう?」
わたしはほぼ毎日お化粧をします。朝の7時半ころ鏡台でお化粧をして、落とすのが夜の7時ころ。だいたい12時間。一日の半分は化粧をして過ごしています。スッピンで起きている時間のほうがずっと短いのです。
18歳からこのような生活をしているので、すでに20年以上。
時間数にすると、12時間×365日×20年=87,600時間です。
ベテランの飛行機パイロットでも2万時間くらいでしょうか。約9万時間はレジェンドを自称したくなってきます。
どうやら理由はここにありそうです。お化粧のベテランなので、もはや「化粧顔」を自分の顔と認識しているのです。化粧顔で子どもの登校を見送り、買い物に行きます。スーパーやしまむらの鏡にうつるのも、当然化粧顔のわたしです。自然にスッピンよりも化粧顔のほうが、身近になっているようです。
「これはよい傾向だな」と思いました。
みなさん、お化粧をするときにどのようなことを考えていますか?ある程度の年齢になると慣れてしまい、単に日常生活の動作になってしまいがちです。しかし、若いころはどうだったでしょう。わたしはとにかくお化粧が上手になりたかったです。そこらへんの男性よりイカツイ顔を、少しでもうつくしく見せたかった。
エビちゃんがモデルのコスメ特集などを参考にしました。目が大きくなりたい。まつげが少しでも長くなりたい。ニキビ跡のブツブツをかくして、つるんとたまご肌になりたい。「こうなりたい」という自分の理想を作品のように、毎日化粧で表現していたような気がします。この20年のつみ重ねで、「こうなりたい」を「自分の顔」として認識できるようになったのです。理想と自分がひとつになったのです。
これからも毎日、理想を描きつづけます。
キャンバスであるスッピンも大切にしながら。