夫、悪霊退治をする
夫が悪夢を見ているらしく、うなされていた。
うーうーと呻き声を上げている。こういうとき迷うのは、起こした方がいいのか、このままでいいのか、ということである。
例えうなされていたとしても、一応寝ているのだから、起こすのは悪い気がする。いったん目を覚ましてしまうと、再度寝られなくなる可能性もある。でも今回は、1分おきくらいに3度呻き声をあげていたので、起こしてみることにした。
「どうしたの?」
声をかけると、夫がピクッ!として目を開けた。眠りから覚め切らない、ぼんやりとした表情で私を見る。
「し、白いワイシャツを振り回すといいって言われたから……」
一体何があったのだろう。そして誰にそんなことを言われたのか。
矢沢永吉のコンサートでタオルを投げるとか、野球でヤクルトを応援するときに傘を振るとか、そんなことを聞いたことはあるが、白いワイシャツを振り回して一体何をしていたのだろう。一応聞いてみると、
「…悪霊退治をしてた」
そりゃ、うなされるわけである。
いろいろ疑問は尽きなかったが、あまり追及すると夫の目が冴えてしまう。私が「あ~、それはお疲れ様だったねぇ」と労うと、夫は「うん…」と小声で返事をし、くるりと背中を向け、また寝息を立て始めた。
以前、温泉宿で、夜、露天風呂に入ったとき、アブが飛んできて、お尻を嚙まれたことがある。暗かったからわからなかったのだが、目を凝らすと結構な数のアブが飛んでいたのだ。私の武器は宿からもらった薄いタオルのみ。しかも薄絹一枚羽織っていない完全丸腰の無防備な状態でアブを追い払わなければならない。私は必死の形相で、宿のタオルをぶんぶん振り回したことを思い出した。あの姿だって見ようによっては、悪霊祓いの儀式に見えなくもない。
夫の退治した悪霊がアブみたいなものだったかはわからないが、ワイシャツを振り回すなど、一体どこの宗派の悪霊退治法だったのだろう。ワイシャツを聖骸布に見立てているとしたら、キリスト教の可能性もある。その辺の詳しいことを起きたら聞いてみたいと思うのだが、果たして夢のことを覚えていてくれるだろうか。
うなされるにしろ、ニヤニヤ笑っているにしろ、人の夢というものはどうにも気になるものである。「天狗裁き」という落語があるが、あの噺も、寝ていた夫に、妻がどんな夢を見ていたのか聞くところから物語が始まる。最終的にはその夢を巡って天狗まで登場するのだから、大変な騒ぎだ。
ちらりと夫の様子を伺うと、静かに寝息を立てている。
悪霊は退散しただろうか。それとももう、違う夢を見ているのだろうか。先程まで呻き声を上げるほど、頑張って悪霊退治をしていたのだから、次は是非とも、楽しい夢を見て、さわやかな朝を迎えてほしいものである。
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