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懐かしいおじいちゃんの謎

 夫が運転中に突然、大きな声をあげた。
「ああ! ○○商店のおじいちゃんだ! 懐かしいなぁー! 元気そうだ!」 

 私たち夫婦はその日、夫の故郷を車で走行していた。坂道を上がっていたそのとき、フロントガラスの向こうに、《○○商店のおじいちゃん》を見かけたらしい。
 私はそのおじいちゃんに会ったことはない。人も多く、遠目だったせいもあり、どの人がそのおじいちゃんなのか、わからなかった。

 車を降りて挨拶するのも大袈裟だと思ったのか、夫はそのまま車を走らせ、 
「いやぁ、おじいちゃん、ホントに変わらないなぁ」
 晴れやかな声を上げていた。
 ただ見かけただけとはいえ、懐かしい顔に出会えた夫は、嬉しそうに頬を紅潮させている。だが、子供の頃の記憶に浸っている夫の横で、私は
 はて?
 と思っていた。

 夫の子供の頃といえば、もう40年くらいは前のことになる。
 しきりに夫は「おじいちゃん、おじいちゃん」と連呼しているが、その当時から、その人は「おじいちゃん」だったのだろうか。八百比丘尼じゃあるまいし、何十年も見た目の変わらないおじいちゃんなどいるはずはない。
 疑問に思い、私は訊いた。

「ねぇ、そのおじいちゃんって、当時、年齢はいくつくらいだったの?」
「うん? もう60はとうに過ぎてたと思うよ」
「それって、あなたがいくつくらいのときの話?」
「え? 小学校低学年くらいだから……10歳くらい? もっと小さかったかも」
 何やら雲行きが怪しくなってきた。そのおじいちゃんが今もご存命だったとしたら、100歳を越えることになる。どう考えても計算が合わない。

「ねぇ、今見たおじいちゃんって、杖とか使わずに普通に歩いてた?」
「あの頃と変わらず、元気で矍鑠かくしゃくとしてたよ」

 100歳を超えても杖なしで元気に歩き回るお年寄りがいないとは限らない。だが、97歳まで生きた私の祖母は、最後まで食欲旺盛で、トイレも自力で行ける人だったが、晩年は体つきも小さくなり、老いによる変化があった。60代と90代では見た目が変わる。そのおじいちゃんの60代の姿しか記憶にない夫が、車中から90代になったおじいちゃんを見つけることなどできるだろうか。

「ねぇ、おかしくない?」
「何が?」
 夫が運転したまま首をかしげる。
「あなたが子供の頃に60を過ぎてたとしたら、今、そのおじいちゃん100歳越えてる可能性があるんだけど……」
「ん?」
「計算が合わないというか……」
「え?」
「もし、昔と変わらない見た目だったとしたら、そのおじいちゃん、ある意味、超人だよ」

 数秒の沈黙の後、夫はおののいた。

「ええ! じゃあ、俺が今見たあのおじいちゃんは一体なんだったの?!」


 夫の恐れ方を見ると、どうも心霊現象に遭遇したと思っているらしい。
 もちろん、その線も捨てきれない。だが、他の可能性のほうが濃厚だと思った私は、夫に訊いた。

「そのおじいちゃん、息子さんはいなかったの?」

 夫は、一瞬はっとして、
「いた……」
 つぶやくように言った。
 夫の頭の中には、当時まだ青年だった若かりし頃の息子さんが浮かんでいたようだ。
「たぶん、今見たのはその息子さんだったんじゃないかな?」
 私が言うと、

「えぇ?! でも、顔とか全然似てなかったんだよ?」


 夫はまたおののいた。
 私たち夫婦は怪談話が好きだ。この話をオカルトに寄せようと思えばいくらでも考察できる。しかし、

「でもさ、この前お母さんに会いに行ったとき、おばあちゃんに似てて本当にびっくりしたよね」
「ああ、そうだったね」
 夫は頷く。

 その少し前、私たち夫婦は母に会いに行っていた。
 祖母を見送って、とうとう一人暮らしになった母が
「いらっしゃい」
 と玄関先に現れたときドキリとし、思わず夫婦で顔を見合わせてしまった。白髪が増え、背中が少し丸くなった母の姿は、生前の祖母の生き写しのようだったのだ。

 母と祖母はあまり顔が似ていなかった。
 祖母は日本人らしい一重瞼の切れ長の目をしているが、母は二重でほくろも多い。何より、佇まいや雰囲気が違っていたので、母と祖母が似ているという印象を、祖母が亡くなるまで感じたこともなかった。

 しかし、先日あった母は、まるで亡くなった祖母が憑依してしまったかのように、ちょっとした仕草や、黙って座っているときの佇まいが似ていたのだ。
「お母さん、おばあちゃんに似てきたね」
 恐る恐る母に言うと、
「最近、近所の人にもそう言われたのよ」
 と話していた。

 他人の目から見ても、母は祖母に似てきている。
 親子なのだから当然なのかもしれないが、その事実に、私は畏れに近いものを感じた。

「俺も、もっと年取ったら親に似てくるのかなぁ」
 運転しながら夫が言う。
 不思議なものだが、親に似たい、と思う子供は少ない気がする。
「お子さん、親御さんにそっくりですね」
 と言われて目尻を下げるのは親ばかりで、子供のほうはそれを言われると、なんだか居心地が悪い。子供からすれば、懸命に育もうとしている《個》を、親に絡めとられる気がするからかもしれない。 

 年を取ると、元々似ていなくても親に似てくる。
 まるで憑依されたかのように、親の生き写しになってしまう。親に似てくる、ということは、微笑ましくもあり、どこか恐ろしくもある。

 私はまだ40代。
 母に似るのは、さすがにまだまだ先だろうと思っていたら、膝の上に乗せた左右の手が、母のものとそっくりになっていた。
 ぞっとして、思わず手を引っ込める。
 私が母に憑依されるのも、もう時間の問題かもしれない。

 




 


 
 


  


 


 

 

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花丸恵
お読み頂き、本当に有難うございました!