これは活気か喧騒か
疫病が流行する前から、私はあまり外出をしないタイプだった。
昨年最初に緊急事態宣言が出されたとき、自分の行動をどれくらい制限するべきか考えていたのだが、これまでと特に意識を変える必要がないことに思い至り、若干衝撃を受けた。
私には自粛の才能がある。いや、自粛の天才かもしれない。
そんな戯れ言を思いながら、疫病流行の重苦しい空気の中、引きこもることに苦痛を感じない自分に、何となく申し訳なさも感じていた。
幼少期の頃、あまりに私が家に居たがるので、母から、
「外で遊びなさい」
と無理やり家から追い出されたことがあった。
人に対して無愛想なわけではないが、外の世界に目を向けることに、あまり興味を持てなかった。 自分の内の世界で生きる方が、どうも肌にあっている。
母はそんな私のことが心配だったに違いない。
先日、ガラケーからスマホに変えるための偵察を兼ね、夫婦で大型の家電量販店に出かけた。入店して驚いたのは、店内にかかるBGMの音の大きさだった。
チカチカとした派手な音楽や、店内放送が、叫んでいるかのような音量で聞こえてくる。店員さんとの会話も、どうしたって大きくなり、話す声と店内の喧騒が、頭の中でグワングワンと響いて震える。
あふれかえる音の中に身を置きながら、騒がしさで、自分の世界が少しずつ縮んでいくような錯覚に囚われた。
帰宅後は夫婦でぐったり。
繁華街や都会的な場所に出向くことがなくなっていたとはいえ、こんなにダメージを受けるとは思わなかった。かつて家電量販店の活気の中で、
ラジオやカメラを見て楽しんでいた日々が遠くなっていく。音にあふれる活気が、私達夫婦には喧騒になってしまった。
疫病が収束し、誰に咎められることなく出歩けるようになったとき、一度、喧騒と思ってしまったものを、活気だと思い直すことができるだろうか。
もうあの頃の感覚には戻れないかもしれない。
疫病になってから初めて、そんなことを感じながら目を閉じた。