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サロベツが終わらない


「いいいぃぃぃぃいやぁぁぁぁぁああーーーー!!!」

ムンクが叫びたくなる気持ちが私にはわかる。

ムンクとは、言わずとしれた名画「叫び」のことだ。
あの名作は、絵の中にいる人物が
叫びをあげているわけではなく、
幻聴で叫び声を聞いてしまい、
思わず耳をふさいだ瞬間を描いたものだそうだ。

しかし、問題はそこではない。

私は叫びたい気持ちでいたのだ。
何が起きたのか、いや、何も起きていない。
その時私は、まさにムンクの叫びような表情になっていた。


北海道を旅をしたい。
夫はずっとそう言っていた。
しかし、私はその提案にのることができずにいたのだ。
父の生まれ故郷は北海道。
私は、母から父に対する恨み言を聞いて育った。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
母の恨みは北海道という土地にまで及び、
あの大きすぎる大地を覆うほどであった。
私自身、長年の刷り込みや家庭内のトラウマもあり、
北海道を旅したいとは、どうしても思えなかったのだ。

しかし、そんな気持ちを一変させる番組に出会う。
水曜どうでしょうである。

友人がこの番組にハマりにハマり、
私にその話をしてくるようになったのだ。
友人のススメとあれば、一度くらいはどんなものか見てみよう。
放送時間にチャンネルを合わせてみた結果、
とうとう、どうでしょうの聖地、北海道まで
足を運ぶことになってしまったのである。

両親や北海道への複雑な思いを、大泉洋の軽口がぶっ飛ばしてくれたのだ。
その殴りつけ方は豪快で、私の北海道に対する抵抗感など
ロシアの先の先まで吹っ飛んでいった。
骨の髄まで、どうでしょうバカ、すなわち
「どうバカ」になってしまったのだ。

とはいえ、水曜どうでしょうが放送された
HTB(北海道テレビ放送)だけ見て帰るのはもったいない。
夫がかつてツーリングで訪れたところも、
再訪しようということになった。

その再訪の地が、サロベツであった。

ツーリングを愛する者にとって、サロベツは聖地のような場所である。
東を見れば大原野、西を見れば日本海という風景を貫くように走る醍醐味、開放感たるや、これぞツーリング!と言えるのかもしれない。

しかし、である。

最初は、これが同じ日本なのか!と驚嘆したが、
変化のない絶景は、驚くほどに慣れるのも早い。
窓を開ければ確かに気持ちいい風が入ってくるが、
それも長く続けば、ただ寒いだけだ。
私は車の助手席に座っている。
かじっていたじゃがりこも底をついた。
絶景も、見すぎると、脳内でゲシュタルト崩壊を起こす。
運転する夫と会話をしようにも、
何を話したらいいかわからなくなるほど、
語彙力が崩壊しはじめていた。
原野、海、空。
情報の極端に少ない絶景が、ビュービューと目の中を通り過ぎていく。

いつまでこうしているのだろうか。
この景色は、いつになったら終わるのだろうか。

寝ていればいいのだろうが、
運転する横でグースカされたら、夫だって嫌だろう。
ただひたすら、変わらぬ景色を見続けるしかないのだ。
景色を見ながら、私はムンクのことを思い出す。

ムンクは叫び声を聞いた。

1892年1月22日のムンクの日記には、こう書かれている。

私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。
突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に
炎のような血と舌が被さるような感じだった。
友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた(感じた)。

私はまさに、自然を貫く道を通り抜けている。
ムンクの聞いた叫び、そのものになったような気がした。

「いいいぃぃぃぃいやぁぁぁぁぁああーーーー!!!」

私は叫ぶ。
横にいる夫はビビる。

「なした!?」

夫が聞く。
頬に押し当てた手とともに、私の顔が
ズルズルとへの字に下がっていく。

「サロベツが、サロベツが終わらないよぉ…」

あと3箱、じゃがりこを買っておけば、
私はサロベツで叫びを上げることはなかっただろう。
しかし逆に、1892年1月22日、耳をふさいだムンクの口に、
じゃがりこを放り込んだとしたら、
あの名画は生まれなかったのかもしれない。



注・決してサロベツをけなす記事ではありません。
むしろ、あの景色、絶対見てほしいと思っています。体感型の絶景です!
あの終わらない感覚は、北海道の大きさを感じる素晴らしさがあります。
私もできれば再訪したい!

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