魂カムバック
たましいの、抜けたひとのように、足音も無く玄関から出て行きます。
これは、太宰治の小説「おさん」の冒頭の一文である。
私はこの書き出しが好きで、これを読んだだけで、ブルブルっと痺れてしまうのだ。そして満面の笑みでウインクをし、親指を立て、
「太宰先生!今日も絶好調ですね!」
とアメリカンな感じで声をかけたくなってしまう。太宰にとっては、大変迷惑な読者だ。
しかし、魂が抜けるとまではいかなくても、何だか疲れ果ててしまい、それこそ魂が抜けたようにうなだれてしまうことがある。そんなときは思わず、
チ~ン♪
と、自分の様子に、仏具おりんの効果音をつけたくなる。
実は今、私はそんな状態だ。身体を床に預けたまま、スマホを手に持ち、中指だけが、かすかに動いている。大変怠惰な状態で、これを書いているのだ。四十路女のだらしないことこの上ない、怠惰中継である。
今、床と背中が完全なるマリアージュ状態だ。運命の人を見つけたかのように、背中と床が、ビタッ!と、くっついてしまっている。
「お前たち、いつからそんな仲になったんだ。聞いてないよ」
と、思わずダチョウ倶楽部風に、己の背中に語りかけたくなる。
背中と床の仲を裂くのも忍びないのだが、私には、まだやることかあるので、出来れば起き上がりたい。魂カムバック!と魂を呼び戻したいものだ。
魂!魂、帰ってこい。帰ってこいよ魂!
映画「ビルマの竪琴」で中井貴一演じる水島を呼び戻そうとする戦友たちのように、私は今、魂に呼びかけている。しかし、私の魂は、あのときの水島のように、ただ静かな眼差しで、インコを肩に乗せたまま、私を見つめ返すだけである。
ちなみに、映画では「水島~!一緒に日本に帰ろう!!」と、戦友たちが水島を呼び戻そうと声をかけていた。しかし、確か水島上等兵は、戦友たちの呼びかけに応じることなく、森へ去って行った記憶がある。だとするならば、このままでは、私の元に魂が帰ってこない。やはりここは三味線片手に勢いよく、
帰ってこいよ。帰ってこいよ。帰ってこ〜いぃよぉ〜〜〜〜♪
と高らかに歌い上げた方がいいだろうか。しかし松村和子ばりに歌うことが出来るなら、すでに魂は帰還している気がしないでもない。
しかし、時代はもう令和だというのに、話す内容が全て昭和である。一応、これでも私は青春時代を平成で送っていたのだが、信じて頂けるだろうか。サバ読んでいると思われたらどうしよう。証拠写真でもアップしないといけないだろうか。
しかし、宇宙ステーションに半年もいた宇宙飛行士の星出さんも、先日、地球に帰還したというのに、私の魂は一体何をやっているのだろう。まさか星出さんの代わりに宇宙ステーションの船長になろうとでも思っているのだろうか。私の魂が、やる気まんまんでNASAでスタンバイしているのだとしたら、私が今、ぐったりとしているのもうなずける。
しかし、ならば、今こうして中指だけ動かして物を書いている私は一体、何者なのだろう。誰がこの中指を動かしているというのか。
何だか急に話が落語めいてきた。江戸の長屋が舞台の落語、粗忽長屋の気配がする。
例え話が昭和から、大正・明治を飛び越えて、とうとう江戸になってしまった。このままボーッと中指でフリック入力を続けていたら、私はどんどん時代を遡って行ってしまいそうだ。
このまま令和に戻れなくなると困るので、今日はこの辺でスマホを閉じようと思う。