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繊細さんだなんて話題になってしまってすみません

私は、恐ろしく罪悪感が強い。太宰治の
「生まれてすみません」
を地で行く人間だ。
何でも自分のせいではないかと、恐れている。
今で言うところの、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
の特性にかなり当てはまる。
正直、HSPが繊細さんなどと呼ばれ、話題になっていることすら、
HSPじゃない人に不快感を与えてやしないか、考えてしまう。

繊細さんだなんていい気になって、被害者ヅラしてふざけんなよ!

などと、思われるのではないかと心配だ。

HSPテストをして、当てはまらなかった人は、
「よっしゃ! 自分は違うぞ!」
と、喜んでいるのだろうか。もし、喜んでいるのならいいのだが、
あなたは繊細じゃありません、と言われることに
抵抗を感じる人もいるのではないか。
繊細さんじゃない人を、非繊細さんというらしいが、
その呼び名に不満に感じている人もいるのではないか。
HSP特性のある人間としては、心配で仕方がない。

HSPは、生きづらさを抱えていた人にもたらされた
取扱説明書のようなものだ。
自分だけが抱えていると思い込んでいた厄介な繊細さ、
生きにくさを解説してくれたうえ、
自分だけではなく、世界中に存在するのだと教えてくれた。
ずっと否定してきた自分を、否定する必要はないんだと、
教えてくれたのだ。

例えば、
あの人が機嫌が悪いのは自分のせいなのではないか、と思ってしまった時、
HSPを知らない時は、何とかしなきゃと焦ったりしていた。
しかしHSPを知った後は、そういう場面でも、あー、またHSP特性出たな、と自分を俯瞰で見ることができる。
自分はHSPだと認識して、対策を取れることが有り難いわけで、
私はHSPなので、配慮してください、と他人に言っているわけではない。

HSPが認知され、急速的に広がりを見せていることで、救われる人は多い。
しかし広がることによって、
「自分はHSPだから」「自分は繊細さんだから」
とHSPを都合よく使う人が出てくるのではないか。
そういう人が増えると、HSPがただの言い訳のようにとらえられてしまう。

HSPであるということが、「自分は、人見知りなんです」
というのと同じ感覚で言える方が、いいことなのかどうかはわからない。
私は多分、HSPが都合のいい言い訳のようにとらえられてしまうことを危惧しているのだと思う。

繊細さんだなんて話題になってすみません。

生まれてすみませんを地で行く私は、
今、そんな事を考えてしまっている。

お読み頂き、本当に有難うございました!