噂のおにぎりダイエット
クレーム対応というのは非常に難しい。
相手の要望を的確に受け止めたうえで、よりよいサービスを提供しなければならない。
私も、結婚して20年以上経過しているが、未だに夫から、厳しいクレームを頂戴することがある。私は、それを真摯に受け止めているつもりなのだが、どうやらそうは見えないらしい。大変残念だ。
夫は職場におにぎりを持っていく。
最近ではたまにホットサンドになることもあるのだが、それでも、未だおにぎり率の方が高い。
そこで夫からクレームが入る。
「いっつもいっつも、おにぎりが大きいんだよぉ」
夫から言わせると、私の作るおにぎりは大きいらしい。私の手のサイズからしても、そんなに大きいおにぎりになるわけがないのだが、どうも大きいようだ。
「おにぎりってのは、手で握るのではなく、心で握るからね。作る人の器がびしっと出ちゃうんだねぇ~」
私がうむうむ頷きながら、そんなことを言ったところで
「そうだね!」
とはならない。
御託を並べず、小さくしやがれ。ということになる。
我が家の石油王のご希望とあらば、仰せの通りに致しやしょう。
ということで、なんとか小さいおにぎりを制作する。
しかし、なぜだろうか。
小さいおにぎりというのは、作っていて心が晴れない。少なめにご飯をよそって、具を入れて、指先で、ちまちまちまちま握る感じになってしまう。
そうなると、自然と背中が丸まっていく。目線は下向き、先程まで上がっていた口角も徐々に下がり始め、おにぎりを作り終えた頃には、
私、このまま、こうして生きていていいのだろうか……。
などと思い、ため息なんぞをつきはじめる。精神衛生上、不健康極まりない。
しかし、食べる人のことを考えるのが作り手の役目である。小さいおにぎりを快く握るためには、自分の認識を変えるしかない。私は、
夫はサラリーマンではなく、本当は舞妓さんなのだ。
そう思うことにした。
舞妓さんはお化粧を崩さないためにも、おちょぼ口で食事をする。舞妓さん人気のグルメなどという特集が組まれていたりすると、
小鳥がつつくんかい!
というサイズの、お寿司や餃子が出てくる。夫がお座敷前に小腹を満たすために食べるのだ、と思えば、おちょぼ口に合うように、チントンシャンと握れるはずだ。
そんなこんなでチントンシャン、チントンシャン、小さいおにぎりを、隠れ舞妓の夫に持たせ続けたある日のこと。
久々に、夫と二人で、母のところに遊びに行った。さぁ、これから皆でケーキでも食べようや、というときに、祖母がこう言い放ったのである。
「あれ? 少し、お痩せになった?」
私が「え?!」と満面の笑みで、祖母のほうを振り返ると
「あんたじゃないに決まってるでしょ!」
と悪態をつかれた。
ぎりぎり歯ぎしりする私を無視し、祖母と母が、まじまじと夫の顔を見る。
「あら、本当ね、少し痩せたみたいねぇ」
母までそう言い出した。
祖母と母で、お仕事お忙しいのねぇ、大変ねぇ、と夫に対して、ひと通り同情を見せた後、やれ、あんたはちゃんと食べさせているのか、やれ、あんたの腹肉を分けてやれだの、それはそれは盛大に私に矛先が向いた。
私は、矢のように話し続ける二人をぎっと睨みつけ、
「ええい!黙れ、黙れ! こちとら、酵素玄米も、長生き味噌汁も、酢にんじんも食べさせとるわい! 納豆きのこ海藻、国産キムチの腸活朝食で、腸内環境バリバリだわ! 毎日おにぎりだって、きっちり握って持たせてだねぇ!……ん?」
勘の良い方は、既にお気づきだろう。
特に体調不良ではない夫に唯一変化があったとすれば、それは《おにぎりを小さくしたこと》である。
私から見れば、夫は、大変華奢な人だ。骨格がとてもコンパクトにまとまってできており、食後に丸まって寝転ぶ姿は、まるで子猫である。
たくさん食べても太る気配すらない。うらやましい。
しかし、だからといって、おにぎりを小さくしたくらいで痩せられては困るのだ。このまま小さいおにぎりで、チントンシャンとやってたら、そのうち夫は、カント〇ーマ〇ムやキッ〇カットのように際限なく小さくなってしまう。
原料高騰で小さくなり続けるお菓子のように、
「小さく食べやすいサイズになりました!」
といって誤魔化すわけにはいかない。
私は夫に、おにぎりのサイズを戻すと高らかに宣言した。一瞬恐れおののいた夫であったが、おにぎりを小さくしただけで、痩せていく自分が悪いのだ。
「文句言わずに食べてもらうよ!」
と言ったら、自分の体のように細い声で、
「が、頑張る…」
と言った。
夫はこうして隠れ舞妓業を引退し、私は晴れて通常サイズのおにぎり作りを再開したのである。
そしてしばらくして、夫は元の体型に戻った。
世間ではおにぎりを食べて痩せよう!という、おにぎりダイエットというものがあるそうだ。ある意味、夫は、そのダイエットの成功者と言っていい。
よし!ならば、私もやってみようではないか!
と鼻息荒く握られたおにぎりは、舞妓さんの化粧がバリバリに崩れるほど大きなサイズになった。
やはりおにぎりは、握る人の心の器が投影されるものなのだ。