にっちゃんごめんね
にっちゃんは恋愛体質だった。
テンションが高く、明るく、声が大きい。
彼女がいるだけで、空間の熱量が爆上がりするのだが、
特に恋愛の話となるとパワー全開だった。
時に荒ぶり、時に身悶え、彼女の喜怒哀楽は、
ほぼ恋愛に傾けられていた記憶がある。
にっちゃんは中学1年の頃、3年生の先輩に恋をしていた。
しかし、意中の先輩と気軽に言葉を交わせるわけではない。
家政婦は見たの市原悦子のごとく、影から先輩をこっそり覗いては
「ぜんばいガッゴいぃいいい~」(訳・先輩カッコいい)
と身をよじらせ悶えていた。
母校の中学では、毎年春に中学3年生の生徒は、
京都・奈良に修学旅行へ行くことになっている。
もちろん、にっちゃんの大好きな先輩も参加していた。
私が中学生の頃は、携帯もスマホもない。
修学旅行にはカメラマンが同行し、フィルムカメラで、
集合写真や生徒たちの楽しげな姿を収めていた時代だった。
修学旅行が終わると、カメラマンが撮影したそれらの写真は、
3年生の教室の前の掲示板に一斉に貼り出され、
自分の買いたい写真の番号を記入し、
先生に提出して写真を買うことになっていた。
にっちゃんは先輩たちが下校したあと、
こっそり3年生の教室に貼り出された写真を見に行く。
目を皿のようにして、意中の先輩の写真を探すにっちゃん。
一つ見つけては「ガッゴいぃ~」と体をくねらせ、
二つ見つけては「ガッゴいぃ~」と身悶えていた。
しかし、どんなにその身をくねらせても、
にっちゃんがその写真を買うことはできない。
修学旅行の参加者のみが買えるシステムだったのだ。
先輩の写真を見ながら指をくわえるしかなかったにっちゃんに、
なんと救世主が現れた。
「私のお姉ちゃんに頼んであげようか?」
先輩と同じクラスに姉がいる同級生が、
お姉さんに、お目当ての写真の購入を打診してくれたのだ。
にっちゃんは、文字で表わせないような擬音語を
口から盛大に放出して歓喜していた。
こうしてにっちゃんは、晴れて写真の入手に成功したのである。
だが、恋する女の欲望は留まるところを知らない。
にっちゃんは、全学年参加のマラソン大会で、
走る先輩の姿を写真に収めたいと言い出したのだ。
何度も言うが、スマホがない時代のこと。
今のように気軽に写真は撮影できない。
手軽なインスタントカメラだって
見つかってしまえば先生に没取されてしまう。
そこで、にっちゃんは、すごいアイテムを手に入れた。
超小型のキーホルダー型フィルムカメラだ。
私は、そのカメラを見て、驚愕した。
こんな小さなカメラがあるのか!
と、いうこともだが、
どこで見つけてきたんだ、にっちゃん!
と、その執念に感嘆した。
にっちゃんが先輩の走る姿を激写できたかは忘れてしまったが、
恋する乙女の荒ぶる情熱の一端を見た出来事であった。
にっちゃんは、その後も一途に先輩を思い続けていたが、
とうとう避けては通れない日が訪れる。
先輩の卒業式だ。
卒業式はだいたい昼前に終わり、給食はない。
卒業式の当日、母は出かける私に
「今日の昼は、カレーピラフにしたからね」
と言って、送り出してくれた。
母特製カレーピラフが大好物だった私は、
先輩たちの卒業式に参列しながらも、
今日のお昼はカレーピラフだ!
ということしか頭になかった。
卒業式が終わり、そのまま帰ろうと支度をしていた私を見つけ、
にっちゃんがズダダダダと走ってきた。
「まさか、帰るの? あんた帰るの?」
目を真っ赤にしたにっちゃんが、私に詰め寄る。
どうやら泣いていたらしい。
「うん、帰るよ」
私にはカレーピラフが待っている。
そう言うと、にっちゃんがカッ!と目を見開いた。
「このハートブレイクな私を残して帰るの?!
あんた友情よりカレーピラフをとるの?!
薄情ものぉおおおおお~!!!」
と、遠方の教室まで響き渡るような声でなじられた。
こうなってしまってはもう帰れない。
私は公衆電話から自宅に電話をし、夕飯に食べるから、
カレーピラフは残しておくよう母に頼んだ。
にっちゃんの他にも、意中の先輩が卒業してしまった
ハートブレイクガールたちがわらわらと学校近くの公園に集まって来た。
まるで野良猫の集会である。
互いの傷を舐め合う失恋座談会はあたりが暗くなるまで続き、
私の背中とおなかは、完全にくっついてしまった。
それから2年が経ち、
私たちもあの時の先輩たちと同じように卒業を迎え、
それぞれの高校に入学し、離れ離れになった。
私は高校に入学すると先生にも恵まれ、友人もでき、
中学時代のことは完全に過去になっていった。
そんなある日、私のもとに、さほど付き合いがなかった
中学の同級生から手紙が届く。
なんだろうと開封すると、手紙にはこのようなことが書かれていた。
この手紙を受け取った者は、1週間以内に、
同じ内容のものを出すと、あなたに幸せが訪れ、
あなたの好きな人と両想いになれます。
ただし、手紙を出ださなければ、あなたの身に不幸が訪れます。
この手紙は幸福の手紙で、これと同じものを他の人に送れば、
あなたは好きな人と結ばれ、送らなかった場合は、
好きな人と結ばれません。○日以内に、誰かに同じ手紙を送って下さい。
今でいう、チェーンメールだ。
幸せと銘打っているが、これはれっきとした不幸の手紙である。
当時私には、好きな人がいた。
それまでの恋とは全く違い、私はその恋が
自分の生きる地盤のように感じていたのだ。
手紙に書かれている呪いを私は異様に恐れた。
悩んだ挙げ句、私は幸福の手紙を投函してしまう。
宛先は、にっちゃんだった。
その後しばらくして、にっちゃんから電話が来た。
ウシみたいに「もぉおおおおー!」と言っている。
受話器がにっちゃんの声の振動でビリビリ震えた。
なんと他の同級生からも、同じ手紙が届いたそうで、
手元には2通の不幸の手紙があるのだと言う。
とんだ災難である。その災難に私も加担してしまったのだ。
2通の幸福の手紙を、にっちゃんがどうしたかはわからない。
彼女とはそれっきりになってしまったからだ。
あれから30年近い時が経った。
幸福の手紙を出してしまったことは、
大きな後悔として今でも私の中に残っている。
呪いなど恐れずに、あの手紙を自分のところで止めればよかった。
その勇気を持てなかったことが本当に情けなく、
得も言われぬ怒りがこみ上げ、罪悪感がざわめきはじめる。
私はこの先も、あの時のことを思い出すたびに、
にっちゃん、ごめんね。
と、心の中で謝り続けてしまうのだろう。
幸福の手紙の呪いは、
今でも私の心の中で後悔の呻き声を上げている。
くまさんの投稿を読み、本日までの企画と知り、
下書きに眠っていたものを、大急ぎで書き直しました。
眠っていた作品を投稿する機会を与えて頂き、
たぬきの親子さん、有難うございました。