詰め寄られる夫
夫に初めて会ったときのことを、今でも鮮明に憶えている。
後ろ姿で立っていて、顔が見えないにもかかわらず、何か見えざるものから「この人ですよ」と言われているような感覚があった。大袈裟だと笑われるかもしれないが、一瞬のうちに縁のようなものを人に感じたのは、後にも先にも、このときだけだ。
その縁は実を結び、一緒になって22年になる。
ずっと夫婦二人で暮らしてきた。子供はいない。そのせいで自責の念に苦しんだこともあったが、夫はそんな私を、何も言わずに見守ってくれた。
私はいつも、夫に与えてもらってばかりいる。申し訳ないと思いつつも、
私はまだまだ、夫にガッツリ与えてもらおうと欲張っているのだ。
強欲の塊である。なんて恐ろしい妻だろう。悪妻の極みである。過去の自責の念など、棚の上に勢いよくぶん投げて、私は今、夫に詰め寄っている。
「今なんて言ったの?!」
食い気味に聞く私に、夫がビクッ!とした。
「えっ! 今、オレなんか言ってた?」
「言ってたよ! なんか今、すごく面白いこと言ってたよ!」
「えぇ~、わからないよぉ~。思い出せないよ。覚えてないよぉ~」
「まだ1分も経ってないでしょうよ! 何で思い出せないのよ!」
謎の追求をされる夫。
メモ帳を広げて、ペンを握り、詰め寄る妻。
その光景は、まるで汚職疑惑のある政治家と、詰問を繰り返す記者のようである。
無論、夫は無実である。
私は現在、夫が漏らした面白い一言などを基に、エッセイを書いている。
機密情報だったわけではないが、夫のひょうきんっぷりは、今まで外部に漏れることなく、家庭内のみで繰り広げられてきた。私は夫の一人演芸を、これまで独占してきたわけだが、私がnoteを始めたことで、白日の下に晒されることとなったのだ。
私は、夫がエッセイのネタにされるのを嫌がると思っていた。一度真剣に、
「我慢しないで、嫌なら嫌と言ってよ」
と話したのだが、夫はネタにされても、あまり気にならないらしい。毎回、どの発言をエッセイにしたか伝えているが、夫による検閲は一切ない。
コメントでその発言を褒められていると伝えると、頬を緩ませ、夫はちょっと嬉しそうにニマニマしている。どうやら満更でもなさそうだ。
しかし今、夫は悲痛な声を上げている。
「わからないよぉ~。そんなこと言われても、わからないんだよぉ~」
逃がした魚は大きいと言うが、こういうとき、それを痛感してしまう。「思い出せ~思い出せ~」とせっつく私に、とうとう夫は頭を抱えてしまった。私の夫になってしまったばっかりに、本当に気の毒である。
最近のブルーレイレコーダーは、全ての番組を録画できる機能があるらしい。そんな素晴らしい技術があるならば、夫の発言を全て記録できるレコーダーも作ってくれないだろうか。
記録するだけでなく、全ての発言を読み取って、テキスト化してくれると有り難い。更に、私好みの発言をレコーダーの方でピックアップして、プリントアウトしてもらえると、大変助かる。
そんな高性能の発言全録レコーダーを我が家に導入できれば、私もいちいち夫に詰め寄らなくても済むというものだ。
あ~、そんな機械あったらいいなぁ。
そんなことを考えながら、今日も私は、地道に夫の発言を書き留めるのである。
お読み頂き、本当に有難うございました!