べにひわ色の筆箱
私の母は、自分の洋服はバーゲンで買った、ノーブランドでも平気なくせに、子供が持つ道具には、ちょっとしたこだわりを見せた。
五つ上の姉が小学校に上がるときには、あれこれ選ぶ余裕もなく、無難なものを買いそろえたらしい。母にとってはそれが不満だったのか、私の入学時には、センスの光る粋な道具をそろえたいという願望があったようだ。
元々、私はクレヨンや鉛筆、画用紙、消しゴムなどが大好きな子供だった。私にとって文房具売り場はオアシスで、スーパーマーケットで新しいらくがき帳を買ってもらったときなどは、宝物を抱えるようにして帰ったものだ。
それなのにである。
私は自分が使う筆記用具を、何ひとつ選ばせてはもらえなかった。可愛らしいキャラクター入りの鉛筆や消しゴムがほしいなどと言おうものなら、
「みんなが持つようなものを、持ってても仕方がないでしょう?」
などと呆れられた。
今ならば、母のその意見にきっちり対抗できるのだが、当時は母に逆らうと、
「言うことをきかない子はうちの子じゃありません」
親子の縁切りをちらつかせてきたので、幼なかった私は、湧いた不満を呑み込むしかなかった。
母が自らのセンスを見せつけんばかりに買った筆箱は、革製でジッパー付き、本体は紅鶸色で、ジッパー部分は薄い桃色をした筆箱だった。
ジッパーを全て開けると、本のようにパカッと開き、右側にペン差し、左側にポケットが付いていて、そこに消しゴムや物差しなどを収納できた。
ちなみに、紅鶸色とは、こんな色だ。
ベニヒワという鳥の頭頂部の色に由来している。
きっと、ここまで読んで頂いた皆さんの中には
「あら、なかなか素敵な筆箱じゃない?」
と思われた方もいらっしゃるかもしれない。
私もそれは否定しない。
シックで色使いも上品だったし、実際、先生には
「素敵な筆箱ね」
と褒められたこともある。
確かに母は、気合を入れてセンスのいい筆箱を、私に持たせてくれたのだ。私が求めていた方向性とは違うものの、これが母なりの愛であることは、当時の私にもわかっていた。
しかし、大人が好むシックなんて、子供にとっては実につまらないものだ。可愛いキャラクター付きのものや、扉がたくさん開き、宝物のように鉛筆削りや消しゴムが収納できる遊び心満載の筆箱のほうが、ワクワク感がある。そういった筆箱を持っていた子は、どこか得意気であった。
別に誰かに自慢したかったわけではないが、私の筆箱はあまりにつまらなかった。つまらないだけならまだしも、使い勝手もいまいちで、収納力に乏しかったのだ。
ペン差しが5つしかないせいで、鉛筆が5本しか入らない。消しゴムと物差しを入れたら、既に余分なスペースはなく、鉛筆削りを入れることすら出来なかった。
そのせいで私は、鉛筆削りの代わりに、小さな折り畳み式のナイフを持たされた。
小学校に入学する直前、母からナイフで鉛筆を削る特訓を受け、息をつめてナイフを持った。
「お母さんが子供の頃は、皆こういう小刀で鉛筆を削ったものよ。小学生なのに、ナイフで鉛筆一本満足に削れなくてどうするの!」
そう鼻息を荒くしていたが、私は母が台所で、鰹節削りで鰹節を削っているところを見たことがない。鰹節はパックでもいいのに、鉛筆は自分で削らなければならないなんて、つくづく大人というものは理不尽である。
しかし子供の手では、どんなに頑張って削っても、鉛筆削りで削ったようにはならない。どうにか先を尖らせてはみるが、悲しいくらい格好が悪い。
休み時間、みんなが鉛筆を鉛筆削りに突っ込んで、ぐるぐると楽しそうに鉛筆を削っている中、私は背中を丸めてティッシュペーパーを机にひき、じーごじーご、としごくように鉛筆をナイフで削った。
きっと母は、姉のときには気持ちの余裕が無くて出来なかった理想の教育を、私に思う存分施そうとしたのだろう。姉に比べ、何をするにも鈍臭く、のろまで通っていた私に対し、いろいろ思うところがあったのかもしれない。
こうやって思い返していると、母の教えに従うべく、ナイフを手にしていた当時よりも、今のほうが、理想を押し付けられた息苦しさをより感じるから不思議だ。きっと当時よりも、胸に広がったモヤモヤを言語化できるようになったからだろう。
そうなると、タイムマシンにでも乗って、母に文句の一つでも言ってやりたい気持ちになってくる。だが、冷静に考えてみれば、あの頃の母よりも、今の私のほうがずっと年上なのである。
理想に燃えたぎるほど、母も若かったのだ。
そう思い、ここは年上の私が折れるとしよう。
あのとき母が気負って買った筆箱は、もう手元にはない。
捨ててしまったのか、無くしてしまったのかすら、思い出せない。
それでも、筆箱と言われて、真っ先に目に浮かぶのは、使い勝手の悪かった、あの紅鶸色の鮮やかな筆箱なのだから、記憶というものは厄介なものだ。