あたたかい何か。
「ねぇ! 今すぐ吉祥寺の駅まで来てよ!」
随分昔のことになるが、母からそんな電話がかかって来たことがあった。口調から察するに、誰かが倒れたり、事故に巻き込まれたわけではなさそうだ。
私は一番嫌いな家事は買い物というくらいの出不精でなので、突然呼びつけられても、「はい、ただいま参ります」ということにはならない。
「あ? なんで?」
気のない返事をしてしまった。
だが、そんな娘の煙たそうな声色にも母は全くひるまない。
「あのね! 今日、デパートですんごい美味しいヨーグルトを見つけたのよ。だから、あんたたちにも食べさせてあげようと思って! ねぇ、今から吉祥寺まで出てきなさいよ。夫婦の分で2つ。改札口で渡してあげるから!」
デパートの物産展か何かでヨーグルトを買ったらしい。それが思いのほか美味しかったため、おすそわけしてやるから取りに来い、というのである。ちなみに、私の最寄り駅は吉祥寺ではない。母の最寄り駅も吉祥寺ではない。私と母の暮らす街のちょうど真ん中地点が吉祥寺駅なのだ。
つまり、1分以内で食べ終わるような小さなカップヨーグルト(2つ)のために、母は私に電車に乗って吉祥寺まで取りに来い、と言っているのだ。
壁にかかっている時計を見ると、すでに夕方。きっと帰りは中央線のラッシュに巻き込まれるだろう。
そこまでして、なぜ、2個しかないヨーグルトを取りに行かねばならんのだと、私はうんざりした。
「いらないよ。そんなに美味しいならおばあちゃんと食べなよ」
この一言が余程心外だったらしく、
「おばあちゃんは、ヨーグルトとかチーズとか食べないでしょうよ!」
母の声がいっそう甲高くなった。
当時健在だった祖母は食べることは大好きだったが、あまり乳製品は好まなかった。母に言われ、ああ、そうだったと思い出し、
「じゃあ、一人でたっぷり食べればいいじゃない」
つれなく言うと、
「なんでよっ! このヨーグルトすんごく美味しいのよ! いいから吉祥寺まで来なさい!」
母の声が荒ぶった。
「いやだよ。私これから食事の支度すんの。それに、なんでヨーグルトのためだけに電車に乗って行かないといけないのよ」
私が真っ当な意見を述べると、電話の先で存分に息を吸い上げる気配を感じた。
「あなた、何言ってるの? 美味しいもののためなら、電車に乗るくらいなんともないじゃないの! ちょっと、おかしいんじゃないの?」
母の声量のせいで、受話器が振動する。
このまま文句を言わせたままにしておくと、「親の顔が見たい」とまで言い出しそうな勢いだ。
だが、そんなことで「おかしい」とまで言われる筋合いはない。私は理路整然と母に述べる。
「あのね、吉祥寺まで行くのだって電車賃がかかるの。その運賃と出かける手間を考えて、私はいらないって言ってるんだよ」
私からすれば、こうして言い争っている時間すらもったいない。すると、電話の向こうで、これでもかと大袈裟なため息が聞こえてきた。
「電車賃くらい何よ! お母さんが払うわよ! あんたって子は本当にケチな子ねぇ。そういうことでケチケチする人、本当に嫌い!」
散々な言われようだ。
その後も、
出て来い、嫌です、なんでよ、なんででも、おいしいのに、いらないよ、騙されたと思って、だからいらないってば、
といった押し問答が長々と続いた。母も意地になり、最後はうちの最寄り駅まで持っていくなどと言い出したが、私は
「いらない」
の四文字を押し通した。
このままだと、家まで押しかけてきそうな勢いだったので、
「うちまで来ても、絶対に出ないからね!」
と伝え、私は勢いよく電話を切った。
今日の夕方、買い物帰りに空を見上げると、虹が出ていた。
急いで帰宅し、家にいた夫を呼びつける。
「ちょっと! こっちにきて! ほら!」
ぐずぐずしていると消えてしまうかもしれない。
そう思って、夫に向かって激しく手招きしていたとき、不意にあの日の母とのやり取りがよみがえってきた。
一緒に虹を見たいという気持ちと、美味しいヨーグルトを食べさせたいという気持ちは、まるで違うようで、どこか似ている。
同じものを共有したいという思いは、度が過ぎれば押しつけになる。だが、そんな思いにある根っこは、愛と呼ぶには大袈裟な、あたたかい何か、なのかもしれない。
私はスマホのカメラを向けた。
胸の中のあたたかい何かが、この虹を誰かに見せたいと思ったからだ。
曇り空を渡る虹をスマホの画面越しに眺めながら、
あのとき、吉祥寺に行ってあげたらよかったかな。
柄にもなく、そんなことを思ってしまった。