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愛され方 認められ方

上手く言葉にできてません。
言いたいことは
多くの人が幸せな場所で
人生を送ることができますように。
ということです。


ある本を読んで思ったこと。

その登場人物(彼女)は、たぶん何かしらある方の(障がい的な)可能性がある。
ただ、周りの人からは好かれやすいキャラクター性。

彼女は、怒られるとパニックに陥って、「悪くないもん」と癇癪を起してしまう。

その彼女が放ったセリフに衝撃を受けた。

①「(男の人に)怒られたらぺろぺろすれば、許してくれる」

②ある人に「誰とでもするの?」と聞かれたときに
「だってそれ以外のかかわり方わからないし、
 私、喜んでもらったり、褒められたりするのこれしかないから
 みんな私のことバカとか可哀そうって見下しているけど、エッチの時は対等に接してくれる。」

バカにされたり、見下されたりすることが日常的にある。子どもの頃に失敗体験が多かったのかなって思った。

そしてあるとき
それをしたことで相手が
褒められたり、喜んでくれたりすると
それが生きがいになってしまうんだと思った。
それがいいことでも、危険なことでも。

読んでいて、これが日本で起こっていることなんだと思った。

北海道出身である心空は、
『すすきの』が頭をよぎった。

「昔。ニッカのおじさんより奥に入ってはいけない。怖い大人がたくさんいる。」そう教わった。
当時は、意味を理解していなかったが
今ならその意味が分かる。

商業施設が多くでき、子どもたちが簡単に遊びに行けるようにもなった。『すすきの』が昼夜問わず、人が多くなった。
また、SNSが発達し、小中学生の子どもたちの携帯所持率も10年前より大幅に増えた感じがする。
簡単に顔が見えない相手と連絡を取り、出会い。
あるいは知っている友達を経由して、知り合う。

日常生活では、認められず、バカにされ、愛されていない。失敗体験が多かったり、愛着が十分でなかったり。

そんな自分でも、何がきっかけで成功体験をして、認められて、愛されるのであれば
子どもであれば居心地がいい方を選ぶのは
当たり前だろう。
それが善であろうと悪であろうと。

すべてがダメとは言えない。
そのような社会にしてしまった大人の責任でもあり
「学校」という場所で居場所を作ってあげることができなかったのは申し訳ないと思う。

学校という場所は、無力だ。

何が善くて
何が悪いのか

どう愛すことが正しいのか
どう愛されるのが正しいのか
どう認めることが正しいのか
どう認められるのが正しいのか

正解は、あるのだろうか。

少なくとも自分の心や体を傷つけてまで
愛されたい・認められたいと思わないでほしい。

上手く伝わらないと思うけど
多くの人が幸せな場所で人生を送ることができますように。

おしまい。


アフタートーク

発達障がいや精神疾患が広く知られるようになったのは、とてもいいことだと思う。
むしろ、情報が氾濫し過ぎているのではないかと思う。
検索をかけると様々な情報が載っている。それを全て鵜呑みにしては、いけないと思う。

かつて心空が小さい頃にADHDとLDと診断されたときには、「のび太ジャイアン症候群」という本しかなく、医療・福祉施設の療育に頼るしかなかった。

子どもたちが簡単に情報を得ることができる。
でも、その真偽や善悪の判断力がなさすぎる。

自分は、発達障がいかもしれない。
自分は、LGBTQかもしれない。
自分は、不安障害かもしれない。

過去に上記に似た相談を子どもから受けました.

その際には、教えてくれて(カミングアウト)してくれてありがとうって、どんな悩み事でも言います。

いろいろ話を聞いて、最後は保護者の理解。
ここが1番大切。

そこを乗り越えたら
専門家にお話を聞いてもらってから
その後、様々な手順を踏んで診断があるのか、ないのか。となります。

診断が出たら、また受容までに時間はかかると思います。

※LGBTQに関しては、専門医2名の診断があって初めて診断されるものです。(大学のテストに出た)


もっと深いのは、以下の事例。

リスカをすると心がスッキリする。〇〇もやってたからやってみよう。
ODなんて簡単にできるよう。〇〇に売ってる△△を、、、というように
脱げばお金くれる。運べばお金くれる。簡単じゃん。

最悪の場合、取り返しのつかないことになってしまう。

これは、置き換わるものに
出会う、そして自分自身が変わることが
求められる。


今を生きる子どもたちに潜む危険。
今後ますます増えていくと考えられる。

10年後、生きていけるくらいの生活力や知的能力を身に付けさせてあげたい。

公立学校の転換期ではないか?