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画家の心 美の追求 第77回「アンリ・ルソー 眠るジプシー女 1897年」

 ルソーは「ヘタウマな画家だ」と耳にする。ところで「ヘタウマ」とはどういうことだろうか。

模写「眠るジプシー女」

 ルソーは税関吏として働く一方で日曜画家として絵を描いていた。仕事の方は何とかやっているようなうだつの上がらない勤め人だった。
 ルソーは49歳で早々と退職し、年金生活に入ると絵に専念した。しかし、絵の方もはかばかしくなく、要するにうだつの上がらない絵描きだった。絵の仲間からいろいろとアドバイスを得ていたようだが、それらの忠告はほぼ無視していた。

 普通ならそんな態度をしていたら無視されるか仲間外れにされるとことだが、ルソーなら仕方がないかとあきらめられたのか、あからさまないじわるや仲間外れになることはなかった。
 そこがルソーのルソーたるところだ。

 さてこの絵はルソーが53歳のときの作品だが、このころのルソーは生活に困窮し、この絵を売ろうとしたがまったく理解どころか相手にされずお金にはならなかった。

 無名でしかも先生と呼べる後ろ盾もない。これまでにも展覧会に出品していたが、入選どころかほぼ無視されていた。それは仲間内からも子供が描いたような無邪気で見るものもないヘタな絵だと評価されいた。

 しかしこの絵は無邪気な絵だけでは済まされない、不思議な魅力と世界が広がっている。

 黒い肌のジプシー女が砂漠で眠っている。そこにライオンのような生き物が女に近づき匂いをかいでいる。
 ライオンに食われる危険なシーンにも見えるが、ライオンの顔はヒツジかヤギのように優しい顔にしか見えない。それにこげ茶色のライオンなんていない。

 ルソーは本物のライオンを見たことがない。誰かの絵か写真(当時の写真は白黒)でしか見たことがなかったのだろう。ルソーにとってオオカミやラクダではなく、ライオンでなければならなかった。
 
 後にルソーの絵は「素朴派」と呼ばれるようになるが、ルソーはこの絵にどんな思いを込めたのだろうか。画家自身は何も残していない。だからこちらが勝手に想像することになるのだが…。

 こんなお話しはいかがだろう。

 夕暮れ時、ルソーはすきっ腹に安いワインを飲んでいた。たちまちにして瞼が重くなり眠りに落ちると夢を見た。ルソーはジプシー女になっており、壺に満たされた赤ワインを飲みながらポロリポロリとリュートを弾いている。ジプシーに古くから伝わる悲恋の歌だ。ワインを飲み干すころには日はとっぷりと暮れ、夜空には銀色の満月が輝き、星々が瞬き始めた。女はごろりと体を横たえ瞼を閉じると静かな深い眠りに落ちた。
 いいにおいがする。これは…、オレが大好きなジプシーワインじゃないか。誘われるように近づくとそこに女が横たわり眠っていた…。
 オレは声をかけた。
「オイ、起きろ。こんなところで眠っていたらライオンに喰われるぞ!」

 ルソーを認めたのは、34歳年下のピカソとその仲間たちだという。そしてピカソは言った。
「あなたと私は、いま最大の画家だ」、と宣言し、後にルソーはシュルレアリズムを先取りした画家として称えられるようになる。

 ところでルソーは今でいう、いじられキャラだったのかもしれない。しかし、ルソーは多くの画家たちから特に前衛的画家たちから大いに愛されていた。そのことは確かなようだ。

 ルソーは一般大衆や批評家からは認められることのない極貧の画家だ。しかし、ルソーは絵を描いているとき、それを仲間に見せるとき、満面に笑みをたたえ幸せの真っただ中にいた。それがルソーという画家なのだ。
 
 1910年、極貧が祟ったのかルソーは肺炎のため亡くなる。66年の生涯だった。
 
 話は変わるが、ルソーは「ヘタな画家」だったのだろうか。それとも時代が追い付かず、本当はとても「ウマい画家」だったのだろうか。
 ヘタだけど心に響く絵と、一方ではとてもウマいけど感動のない絵もある。
 さて本当のわたしは、そして皆さんの真の心はどちらの絵を選ばれるのだろうか。

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